長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。 怪物がほうった球史に残る「謎の1球」

最後、大石を2ストライクに追い込んでからカーブを投じた江川
1984年7月24日、熱帯夜の名古屋で行われたオールスター第3戦。全セの二番手で4回からマウンドに上がったのが、
巨人・
江川卓だった。すでに29歳。“怪物”と言われた男も、右肩痛に苦しみ、球宴前は思うようなピッチングができなかった。
しかしながら、この日の江川は別人のようだった。阪急・
福本豊から始まる鮮やかな奪三振ショー。6回表二死で8連続まで伸ばしている。71年、
阪神・
江夏豊が達成した9連続まであと一つだ。打席には近鉄の
大石大二郎が入り、ここでも簡単に2ストライクを取る。
この日の江川は“2人”いた。まずは技巧派の江川。先頭打者の福本が「あんなにうまいピッチングをされたらな」と語っているように、福本へのストレートは最速で139キロながら、ボール球をうまく使い、追い込んでいった。7人目までは初球のストレートは必ずボールから入り、カーブでカウントを整えている。特に“巧打者”タイプには細心の注意を払っていた。
そして、もう一人が速球派の江川だ。阪急の
ブーマー、
ロッテの
落合博満と“主砲たち”への決め球は小細工なし、真っ向勝負のストレートだった。さらに三振を重ねるごとにスピードが上がり、8人目のクルーズを3球三振に斬って取った球は最速の146キロ。大石へも144キロ、145キロの速球で簡単に追い込んだ。
独特の伸びがある江川の球は、打者の体感ではスピードガンにプラス5キロ以上とも言われていた。落合も計時の最速が143キロながら「数字より見た目のほうが速い。今、日本で一番速いよ」と断言している。
マスクをかぶった
中日の捕手・
中尾孝義は大石への決め球にストレートのサインを出した。しかし、江川は首を振り、カーブを投げた。中尾は外すだろうと思い、大きく外に構えたが、その1球はストライクゾーンに。大石が体を泳がせながらバットに当て、セカンドゴロ。中尾、大石、さらには江川自身でさえ、「ストレートなら三振」と思っていたという。
では、なぜカーブを投げたのか。試合後、江川は「ぎりぎりのボールを投げるつもりだった」と語っている。完全に外すのではなく、あわよくば空振りを取るための1球だった。さらに後日談として、「ワンバウンドするカーブで振り逃げになれば10連続奪三振ができるじゃないですか」とも語っている。
捕手の中尾には何も言っていなかったというし、どこまで本気なのかは分からないが、球場全体の異様なまでの盛り上がりの中で“万能感”のようなものが生まれたのかもしれない。つまり“自分に酔ってしまった”のだ。
まさに“未完の怪物”、江川の野球人生を象徴するかのような「1球」だった。
写真=BBM