いよいよ第100回の大きな節目を迎える夏の甲子園。その歴史にこそ届かないが、80年を超えるプロ野球を彩ってきた選手たちによる出身地別のドリームチームを編成してみた。優勝旗が翻るのは、どの都道府県か……? 甲子園も沸かせた竜のリリーフエース
山には四国最大の河川でもある吉野川を抱え、海には渦潮。山海の幸に恵まれた徳島県だが、1985年には大鳴門峡が開通して、近畿圏へのアクセスも飛躍的に向上した。四国八十八箇所めぐりの起点も徳島県にある。
そんな徳島県の野球といえば、プロ野球よりも高校野球を思い浮かべるファンも多いだろう。山間部にある池田高は74年に“イレブン旋風”、80年代前半には“やまびこ打線”で甲子園を沸かせた。
さらにさかのぼると、タレントとしてのインパクトも強い徳島商高の
板東英二(中日)の熱投があった。58年の春季四国大会で延長16回、延長25回を1人で投げ抜き、これが延長18回での引き分け再試合の規定を生む。その夏の甲子園では、準々決勝を延長18回で引き分けて、いきなり規定の適用。チームは準優勝に終わったが、三振の山を築いた板東は今も最多記録として残る大会通算83奪三振をマークしている。
【徳島ドリームチーム】
一(遊)
平井三郎(
巨人ほか)
二(二)
八田正(大映ほか)
三(一)
広野功(中日ほか)
四(右)
長池徳二(阪急)
五(三)
藤田一也(
楽天)★
六(右)
秦真司(
ヤクルトほか)
七(中)
畠山準(横浜ほか)
八(捕)
里崎智也(
ロッテ)
九(投)川上憲伸(中日)
(★は現役)
のちに中日のリリーフエースとなった板東だが、エースも中日から。メジャーでも活躍した川上憲伸だ。川上から板東への投手リレーもいいが、リリーバーは充実していて、筆頭格は90年代前半に救援陣“サンフレッチェ”の一角を担った
潮崎哲也(
西武)。近年では
武田久(
日本ハム)や現役の
森唯斗(
ソフトバンク)もいる。セットアッパーとしての活躍も記憶に残る
水野雄仁(巨人)や、先発でも計算できる潮崎らとの先発三本柱でもいい。
スターターでは
白石静生(
広島ほか)、
川端順(広島)ら左右のカープ勢もいる。最古参は1リーグ時代から活躍し、ノーヒットノーランも達成した
林義一(大映ほか)。プロゴルファーに転じた
尾崎正司(西鉄)も投手だった。
司令塔はロッテ“史上最大の下剋上”を支えた里崎智也と、4歳まで徳島県で過ごした“ドカベン”
香川伸行(南海)の二枚看板。ダイエットとともに三塁手にも挑戦したことがある香川を三塁に据えて、長打力の充実を図るのもおもしろそうだ。
その三塁にいるのは現役の藤田一也。球界きっての守備職人で二遊間を守ることが多いが、やはり二塁や遊撃を守った名バイプレーヤーの八田正、3チームで正遊撃手を務めた平井三郎(正明)が二遊間にいて、打順でも一、二番でコンビを組む。
一塁にいる三番の広野功はサヨナラ満塁本塁打が代名詞で、その2本目は代打で決めた強打者。守備よりも打撃の人だが、ほかの内野陣が堅守を誇るだけに、内野守備には不安がないと言えそうだ。
阪急黄金時代の記憶

阪急・長池徳二
打順は勝負強さも魅力の藤田が五番に入り、果敢なプレーも光った秦真司、低迷期の横浜を支え続けた畠山準らの外野陣が続く。
不動の四番打者は、阪急黄金時代の四番打者でもあった長池徳二(徳士)だ。打撃2冠3度の強打で、ここでも主砲として得点源になる。
ちなみに、阪急を3年連続で日本一に導いた
上田利治監督も徳島県出身で、現役は広島の捕手として3年のみ。池田高を率いた
蔦文也監督も東急の投手として1年だけプレーしていた。プロ、アマにまたがる“名将バッテリー”というのも徳島県らしい。
写真=BBM