「しっかりした青年というのが第一印象」

エンゼルス・大谷翔平(写真=Getty Images)
今回はエンゼルスのグレース・マクナミー広報を紹介する。取材対応やマイク・ソーシア監督の通訳などで、大谷翔平選手とメディアの橋渡し役。日本人の両親の下でロサンゼルスに生まれ、いま45歳で10代の2女の母である。
カリフォルニア大アーバイン校在学中だった1995年の
野茂英雄氏の入団を機にドジャース広報部に入り、4年間在籍した。その後、コンピューターゲーム・ソフト会社での勤務や結婚、出産を経て、今年大谷の入団を機にエンゼルス広報部に入った。
――ドジャースで野茂英雄氏の通訳を務めていたころから20年のブランクを経てのメジャー復帰ですね。今回エンゼルスで仕事をしようと考えたきっかけを教えてください。
「大谷さんの入団が決まって、エンゼルスが日本語を話せる職員を必要としていたので希望しました。仕事は今年2月のスプリング・トレーニングから始めました。もちろん報道陣がたくさん来るという覚悟はありました。環境的には野茂さんのときとよく似ていると思っていたので、それなりの覚悟はありましたね。
野茂さんのときは私自身もそうだし、ドジャースの広報もメディアも、初めてのことばかりで分からないところがたくさんありました。メディアも広報も、お互いに学ぶことが多かったと思います。当時のドジャースには朴賛浩がいたので日米のメディアのほかに韓国のメディアもいましたし、台湾の報道陣もいましたね」
――今年はそのときと違いますか?
「あのときと比べれば日米のメディアとも、これまでいろいろな日本人選手を取材してきて慣れていますし、エンゼルス広報のほうも長谷川(滋利投手=97年~2001年)さん、松井(秀喜外野手=10年)さん、高橋(尚成投手=11年~12年)さんが在籍してある程度慣れています。そこが当時とは違いますね。私としては、ずいぶん昔の野茂さんの経験を生かせるのはうれしいですね」
――仕事にはスムーズに入ることはできましたか。
「スプリング・トレーニングが始まる前に、広報部の上司がソーシア監督に『今度入ったグレースです』と紹介してくれました。実は私がドジャースにいたころ、ソーシア監督はドジャースでコーチをしていて面識があったのですが、ソーシア監督はそのことをすぐに思い出してくれました。うれしかったですし、最初からとてもやりやすかったですね。ほかにもエンゼルスのコーチ陣には当時ドジャースにいた人もいますから。

エンゼルス・マクナミー広報(写真=樋口浩一)
――大谷選手の印象はどうでしょう。
「大谷さんとスプリング・トレーニングで最初に会ったとき、好青年だし、いい感じで一緒に仕事がしていけそうだな、と思いました。しっかりした青年というのが第一印象でした。彼はすごく好かれる性格だと思いますよ。私にもチームメートにもすぐに打ち解けてくれました。水原(一平通訳)君とは兄弟みたいで、すごくいい感じですね」
取材・構成=樋口浩一