
父親はメジャー・リーガーでローハース氏自身も選手だった。さまざまな経験を経て現在はブースからエンゼルスの試合を実況中だ
エンゼルスの実況アナ、ビクター・ローハース氏は放送でしばしば
大谷翔平を”大谷さん”と呼ぶ。ホームランが出たら「GONE!BIG FLY(行った!大きな飛球)OHTANI SAN」といった具合だ。
「12月の入団会見でエプラーGMが『ようこそエンゼルスへ 大谷さん』と言ったのが印象に残っていて『さん』は敬意を示す表現なのだと知った」とローハース氏は言う。
さて、彼は元野球選手である。ここまで来たキャリアが興味深い。父親はキューバ出身のクッキー・ローハース氏。レッズ、フィリーズ、ロイヤルズなどでプレーし、1971年から74年に二塁手で4年連続オールスター出場。引退後、1年だがエンゼルスの監督も務めている。今でこそヒスパニック系のスターは珍しくないが、トニー・オリーバ、ルイ・ティアントらとともにパイオニア的存在だった。
ローハース氏は68年マイアミ生まれで、父が晩年にプレーしたカンザスシティで育った。「私はカウフマン・スタジアムで大きくなった。故郷のようなもの」と懐かしむ。自然に野球を始め大学までプレーしたあと、エンゼルスと契約。だがマイナーで現役を終えた。その後も独立リーグのチームでプレーしながらコーチをしたり、カード会社に身を置いたりした。
「2001年、33歳の私は人生の岐路に立っていて、実況の仕事を学ぶ機会はないかと探していた。友人が独立リーグのニューアーク・ベアーズのコーチで、その紹介で選手としてプレーしながらラジオでしゃべれないかと頼み込んだ。オーナーは私のレジュメを見て、選手としてはいらないが、アシスタントGMでどうかとの返事をもらい働き始めた。だがシーズン前に実況アナが突然辞めて、いきなり希望の仕事が回ってきた。その上、シーズンが始まって1カ月でGMがクビになり、GM にも昇格してしまった」
当時のベアーズはホセ・カンセコ、ジム・レイリッツなどビッグネームと契約して話題になった。「独立リーグのチームのロースターは22から23人で、マイナー組織がないから、誰かがケガをしたら、代わりの選手を即雇わねばならない。大変だけど、選手や代理人と交渉するのは面白かった。02年も続けてベアーズで働いた。ただその年にできて間もないMLB.COMから、ラジオの仕事をもらい、オールスターゲームの実況中継をした。あの試合バリー・ボンズのホームランをフェンス際でトニー・ハンターが奪い取ったプレーが有名だけど、私にとっては5回裏、ダイヤモンドバックスのダミアン・ミラーが左中間に適時二塁打をかっとばしたシーンが、一生忘れられない。今、聞き返しても完ぺきな実況。マイナーの実況アナはうまくしゃべれた音声のクリップをMLB球団に送るものだが、おかげで03年にDバックスに雇われた」とローハース氏。
その後レンジャーズ、MLBネットワークを経て、10年からエンゼルスと今に至る。ローハース氏は大谷のスター性をこう表現した。「彼には100万ドルの笑顔があって、ベイビーフェースが周りを明るくする。一方で、フィールドに立つとICE IN VEINS(血管に氷が流れる)、勝負師の顔に変わる」。二刀流としての復活を、首を長くして待っている。
文・写真=奥田秀樹