「今年のエンゼルスは“ケミストリー”がいい」

エンゼルス・大谷翔平(写真=Getty Images)
カリフォルニア大アーバイン校に在学中だった1995年、
野茂英雄氏のドジャース入団を機にドジャースで広報担当を務めたグレース・マクナミー広報。ドジャースでは4年間働いた。その後は球界から離れていたが、大谷翔平が入団した今年、エンゼルスの広報部に入り、大谷とメディアの橋渡しに従事している。ロサンゼルス生まれ。夫と2女の母でもある。
――これまでの経歴を簡単に教えていただけますか。
マクナミー 日本の総合商社に勤めていた父の勤務地・ロサンゼルスで生まれました。9歳から14歳まで愛知県と神奈川県で過ごし、日本では地元の公立校に通っていました。ハイスクールで再びロサンゼルス。日本にいた間に英語を忘れてしまい、苦労しましたね。私にとっては大きなチャレンジの年でした(笑)。
――大学在学中にドジャースで広報になりますね。
マクナミー 当時ドジャースのオーナーだったピーター・
オマリーさんの知人が知り合いにいました。その知人は私が野球好きなのを知っていて“ドジャースに日本人の選手が入ったんだけど、通訳する気ない?”と誘われたのがきっかけでした。まだ大学が1年残っていたのですが、インターンとしてドジャースに入り、卒業してドジャースの広報に入りました。ドジャースではいろいろな経験をさせてもらいましたね。ベロビーチのスプリング・トレーニングではオマリーさんがメディアとのパーティーを開いてくれたりして、雰囲気のいいチームでした。とても懐かしいですね。
――野茂氏はドジャース4年目の98年6月にメッツへトレードされます。マクナミー広報もドジャースを離れることになりました。
マクナミー広報 その後はスクウェアというゲーム会社で映画のマーケティングと広報をしました。2002年くらいまでそこで働かせていただきました。その間に結婚し、子どもも生まれました。
――そして今年、大谷入団で久々にメジャー復帰を果たしたわけですね。
マクナミー 野球場に来ると、エネルギーを感じます。私もエネルギーが欲しくなったんですね。上の娘が高校生で、下の娘も今年中学を卒業して高校生になります。(職場に戻るのに)ちょうどいいタイミングだったと思います。

ソーシア監督(左)、マクナミー広報(写真=樋口浩一)
――大谷選手はオープン戦で投手として0勝1敗、防御率27.00で打者としては打率.125、本塁打ゼロ、打点1でしたが、不安はありませんでしたか。
マクナミー 彼の実力に不安はありませんでした。開幕後、いいスタートが切れてよかった。球団の一員として、またファンの1人としてうれしかったですね。今年のエンゼルスのチームは、とてもケミストリー(相互関係)がいいと思います。お互いがお互いを尊敬しあっていて、ムードがいいと思います。
――大谷選手は右ヒジ内側側副じん帯損傷で1カ月ほど戦列を離れ、7月3日に打者として復帰しました。
マクナミー また頑張って、ファンを喜ばせてほしいですね。
取材・構成=樋口浩一