
ドラゴンズナインに出迎えられるリナレス。背番号44
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は7月27日だ。
球史の中には、「たら・れば」はたくさんあるが、その一つにキューバの至宝と言われた
オマール・リナレスが、もし全盛期に日本球界に来たら、どんな活躍をしたのか、というのがあった。
1980年代、90年代、メジャーより強いと言われたキューバ代表の中軸。しかも日本球界入りを本人が希望しているとも言われていた。ただ、やはり政治的の壁は厚かったのか、実現しないうちに01年限りの引退が伝えられた。
それだけに2002年6月、リナレスの
中日入りには驚いた。亡命したわけではない。共産圏とあって年俸は低く、研修的な雰囲気もあっての入団だった。
要は、なんとなく、微妙な雰囲気、微妙な腹回りという印象だった。
2002年7月27日は、24日に公式戦デビューしたリナレスが
阪神戦(甲子園)で、来日5試合目、13打席目で初ホームランを放った日だ。
リナレスは初戦こそ2点適時打を放ったが、以後まったくヒットが出ず、7三振。前日にはスタメン落ちの屈辱も味わっていた。それでもリナレスは、来日後の全打席のビデオをスコアラーの依頼し、すべてチェックしてから、この日、球場入りをしていたという。
迎えた第1打席。阪神カーライルのカーブをしっかりためて、レフトスタンドに叩き込む。
「来日してから一番いい当たり。早く打ちたかったのでうれしかったよ」
ただ、同年リナレスのホームランは、この1本だけだった。
写真=BBM