
序盤は絶好調だった
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は8月7日だ。
巨人の若大将・
原辰徳が、お立ち台で涙を流した。
1989年8月7日の
広島戦(東京ドーム)で32日ぶりにスタメンに復帰。打順は離脱前の「四番」から「五番」に降格されていたが、「そんなことより復帰できたことがうれしかった」と語った。
1対2で迎えた8回裏には、広島のリリーフエース、何かと因縁ある
津田恒実からレフトに同点タイムリー。さらに延長10回裏一死満塁には、またも津田からレフトへサヨナラ打だ。
津田はこれが3イニング目。この時点で6勝17セーブを挙げている守護神をここまで投げさせるのも、また時代だ。
試合後、お立ち台に上がった原は、あたりをはばかることなく、大粒の涙を流した。
「涙のわけ? 想像してくださいよ。お客さんの喜びよう、歓声を聞いたら何が何だか分からなくなってしまったんです」
離脱の理由となった左足の肉離れは、まだ完治したわけではない。
8回の同点打では、一塁に足を引きずりながら走る原に、
藤田元司監督は代走も考えたという。
肉離れの治療で戦列を離れていた際、「こんなシーンをずっと夢に見ていた」と原。それだけに夢が現実になったときの喜びは大きかったのではないか。
前任の
王貞治監督が前年限りで退任し、同年、原にとっては入団時の恩師である藤田監督が復帰。慣れ親しんだサードからレフトへの転向を指示されたが、「藤田監督を男にしたい。優勝のためだったらなんだってする」と受けていた。
同年巨人は優勝、日本一。ただし、原はその年の日本シリーズで地獄を見て、さらにそこからはい上がる。
その話はいずれ機会があれば。
写真=BBM