今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 19歳のプリンス、巨人・柴田勲
今回は『1963年7月29日号』。定価は40円だ。
表紙で分かるようにオールスター展望企画が多い号で、巻頭を飾ったのが巨人・
柴田勲。7月14日時点で打率.314、盗塁28と相変わらず好調を維持している。『19歳のプリンス』と華々しい。
本文では山口瞳、寺内大吉、佐野洋による文化人の球宴展望座談会が載っていたが、
寺内 ことしのオールスターはあまり魅力がないんじゃないの。
山口 絶対つまらない。しかしこれじゃ話にならないね。
寺内 日本三大愚挙というのがあって、紅白歌合戦、文士劇、それにオールスターじゃないかと思っているんですけどね(笑)。
と出だしから手厳しい。
実際、オールスター人気は年々低下しており、ファン投票は1962年の276万1000票から73万7000票に落ちた。1958年、
長嶋茂雄入団で一気に盛り上がったプロ野球人気も、やや足踏みのようだ。
巨人─阪神戦の記事で驚いた個所がある。
7月13日の試合だが、阪神・
村山昌史(実)が二死カウント2-2投げた完ぺきな1球があった。ストライクと確信した捕手の
山本哲也がベンチに戻りかけたが、判定はボール。
ジャッジは円城寺満。61年巨人─南海戦で物議を醸した方だ。非常に心優しい人物だったと聞くが、このときの話も“らしい”。
当然、抗議は聞かず、判定は変えなかったが、あきらめて座った山本に「入っていたね、すまん」とボソリ。さらには試合後、わざわざ村山を探し、
「すまなかった。あれは誤審だった。入っていたよ」
と謝罪したという。
ストライク、ボールは微妙なジャッジも多い。そこまで気にしなくても…と思ってしまう。
スタンカ事件のトラウマがあったのだろうか。
7月14日、75試合消化時点で26本塁打の南海・野村克也と、50年に当時の日本記録51本塁打を放った
小鶴誠(当時松竹)の対談もあった。
半分で26本だから倍の150試合で52本、記録更新の可能性は確かにあった。
野村はいつものようにボソボソと、
「いやあ、あきませんわ。51本なんてとてもじゃないが。ワンちゃん(王貞治)のほうがすごいやないですか。ワンちゃんのほうが新記録をつくるんやなかな」
と景気のいい言葉はない。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM