
アイドル的人気があった。左から熊本工高の後輩でもある緒方耕一、井上、投手の木田優夫
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は8月11日だ。
「やっと去年のいいときの感じが出てきました。お立ち台なんてすっかり忘れていた。久しぶり。いい感じです」
涙はなかった。満面の笑顔で、
巨人・
井上真二が声を弾ませた。
8月7日の大洋戦に代打でシーズン1号を放った井上が、スタメンで出場した11日の
中日戦でも2本のアーチをかけ、都合3打数連続本塁打(四球をはさむ)。チームは6対5で早くも60勝目を決めた。
「1本目はスライダー、2本目はシュートかな。まさかあんなに飛ぶとは思わなかったです」
熊本工高から1985年ドラフト5位で巨人入団。好打で注目され、1年目から一軍出場も、巨人の厚い選手層もあって、なかなか一軍定着はできなかった。
それが前年の89年にブレーク。オールスター出場も果たして高校の後輩の緒方耕一ともに「熊工コンビ」と言われ、人気者となった。
しかし8月31日、
阪神戦で
マット・キーオから左側頭部に死球を受け、左耳鼓膜破裂。1カ月の戦線離脱を強いられた。
前年前半の再現が期待された、この年だが、打撃不振に苦しみ、開幕一軍から外れ、5月末には二軍落ちもあった。周囲は死球の影響を心配したが、
「死球は関係ないと思う。球を怖いと思ったことはない。あくまで技術の問題です」
と本人は言い張る。
ただ、「体が開いてるなあ、と感じることはあります」ともらしたこともあった。
それが解消したのが、7日の代打本塁打。井上は喜びから涙を流した。
「まじめに練習しているものには、いつか答えが出るもんなんだよ」
藤田元司監督も笑顔。マジックは28となった。
「周囲のみなさんに支えてもらったおかげです。今まで活躍できなかった分、優勝が決まるまで貢献して取り戻したい」
と井上。8月は月間打率.391で、9月8日、史上最速の優勝に貢献したが、本塁打は結局3本で終わった。翌年以降は一軍出場機会が減り、引退するまでに放ったホームランは1本だけだった。
写真=BBM