今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 審判に殴られた
今回は『1963年8月26日号』。定価は40円だ
今回の表紙もすごい。巨人・柴田勲、南海・広瀬叔功の走り屋2人は旬だが、バックにあるスパイクは一体、だれのものなのか。先輩たちはいろいろ考える。
今回は、8月11日、後楽園での巨人─
阪神戦での事件の記事を紹介しておく。
大観衆の前で、阪神・
村山実(この年の登録名は昌史)が男泣きに泣いた日だ……。
肩をゆすりながらゆっくりとマウンドに向かう村山に、割れるような拍手。後楽園での阪神に対する拍手としては異常なほどだった。
巨人─阪神3連戦のラストゲーム、1勝1敗での第3戦も1対1と接戦になった。7回裏、巨人が二、三塁の好機を迎えたところで、阪神は前日8回までパーフェクト、最終的には2安打完封の快投をみせた村山をマウンドに送った。
満塁とされ、カウント2-2から投じた5球目だった。内角低めに自信を持って投げ込んだ1球への国友球審の
ジャッジは「ボール」。血相を変えてホームプレートに走り寄った村山は、
「なにしてるんか! どこに目をつけているんだ」
と叫びながら球審に詰め寄る。捕手の
戸梶正夫があわてて間に入るが、村山はさらに、
「なんでや、もっとしっかり見てくれ。ワシらは1球に命をかけてるんや」
同時に国友球審から「退場!」の宣告があった。
「何で退場なんや! もっと命がけで見てくれと言ってるだけやないか」
すぐさま阪神ベンチから藤本定義監督、
青田昇コーチが飛び出し、「暴言で退場はひどい」と抗議。2人が国友球審ともみ合っているうちに、村山がまたも迫ってきた。
そのとき、はずみで国友球審のパンチが村山の顔面にまともに入った。
村山は「俺は何もしていないのに、何で殴られるんだ」とまた激昂。ベンチから出てきた
山本哲也捕手に抱きかかえられながらも、さらに球審に迫った。いつしか涙がボロボロと流れ、それを腕で必死にぬぐいながらの抗議になった。
「殴ったあんたこそ退場だ」と藤本監督が怒鳴った。
これに対し、国友球審が「審判はケガでもしない限り退場はできないのだ」と答えると、青田コーチは「よし、それなら俺がケガをさせてやるから、こい!」と向かっていく。
国友球審はあわてて審判室に引き揚げた。
ロッカーに連れ戻されても村山の興奮は収まらなかった。記者団に囲まれても、顔を上げず、肩をぴくぴくとけいれんさせながら黙っていた。
しばらくして顔を上げたときも目はまだ真っ赤だった。
「僕は冷静だったのに審判が手を出したんだ。審判から殴られたなんて僕だけでしょう。とても納得できないけれど、私のほうが正しいということはみんな分かっているはずですよ。だから引き下がってやったんだ。だけど、どうして後楽園で巨人とやると、いつも不公平なのか」
再び興奮し始めた村山だったが、球団職員になだめられ、車で宿舎に戻った。
村山は結局一死も取ることなく、退場になったが、13分の中断の後、村山からつないだ
牧勝彦、
太田紘一が抑え、試合は阪神が3対2で勝利している。
国鉄・
金田正一が、話題となっていた超スローボールの極意を語っていた。
金田は「あれはスローボールではない。スローカーブや」と言い、
「親指と中指の間からすっぽ抜けるように投げる。親指腹をボールにべったりつけ、球を離すとき、親指でブレーキをかけ、人差し指と中指で少しだけひねる」らしい。
担当者しばらく夏休みです。再開は16日予定。
<次回に続く>
写真=BBM