今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 野村克也は日本記録更新ペースに
今回は『1963年10月14日号』。定価は40円だ。
南海・
野村克也のホームランペースが上がってきた。
9月29日の阪急戦で44、45号。前年の自己最多、パ記録の44本塁打を更新。あとは50年松竹・
小鶴誠の日本記録51本を抜き去るだけだ。
だが、野村の表情は暗い。
「まずは優勝を決めることが先決や」
9月29日時点で、2位西鉄は、ついに首位南海との差を3.5まで詰めた。
追い上げの原動力として、すさまじい連投を続けていた西鉄のエ-ス・
稲尾和久は、ついに肩痛で9月26日に戦列を離れた。
ただ、
安部和春、
井上善夫ら若手投手が活躍。その穴を埋めていた。
中西太監督も「なんとなくピーンとくるものがある。それを感じた」と奇跡の逆転優勝への自信をもらす。
ちなみに、稲尾の離脱は本人からのギブアップではなかった。
まず、捕手の
和田博実が、
「シュートを投げるとき顔をしかめるのでヒジが痛いのではと思ったが、本人に聞いてもニヤリと笑うだけで何も言わない」
とヘッドコーチの
若林忠志に相談した。
かつての大投手・若林は「これからもある。休んだほうがいい」と説得。
ついに稲尾も、
「僕としても、このままずるずると不安な気持ちを抱えてベンチにいるより、完全に2、3日休憩して気持ちのうえでも体力的にものんびりしたい。すべては10月決戦。そのための犠牲はどんなに大きくても耐えなければ」
2、3日の休養って……神様・稲尾さん、55年後の世界では、中6日で100球しか投げなくても、あなたの何十倍も給料がもらえる時代になるんですよ。
実際、稲尾は10月3日には復帰し、閉幕までに9試合登板している。
前回は責める論調にしたが、ここまで覚悟を決めたなら、とも思う。
少し先走りして申し訳ないが、この年の西鉄ライオンズ最後の優勝で、稲尾は最後の最多勝に輝き、翌年以降、稲尾の失速とともにチームが低迷した。
しかも、稲尾入団は、あの3連覇初年度。運命を感じる。
巨人・長嶋茂雄の三冠王確実かと言われたセの打撃戦線は混とんとしてきた。まず、
王貞治がホームラン量産で長嶋を一気に2本抜き、打点も8差とした。打率では、
広島の
古葉毅が急接近している。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM