今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 西鉄・中西太監督は上機嫌
今回は『1963年10月28日号』。定価は40円だ。
まずはセ・リーグだが、
巨人の優勝が10月15日に決定した。
マジック1で対象の
中日と4連戦だったが、まずは中日球場の2連戦に連敗、15日、後楽園に移ってのダブルヘッダーでも1試合目に敗れたが、2試合目は7対0と快勝し、優勝を決めた。
すでに大差がついていたことで、選手も比較的淡々。
川上哲治監督は優勝インタビューで、
「優勝するというのは、本当に難しい。この後、日本選手権試合があるわけだが、ペナントレースで優勝したということでおごることなく、大リーグの勝者と選手権試合をやるということを目標にチームをさらに強化していきたい」
要は、油断せずに常に常に上を目指す気持ちが大切ということなのだろう。
対してパ・リーグは西鉄、南海の死闘が続く。
西鉄を先にしたのは、順位がついに入れ替わったからだ。
15日から大阪球場での直接対決2連戦。試合前日、首位西鉄・中西太監督は上機嫌だった。
「ワシは新聞屋をもうけさせるためにやってるみたいなもんや。このくらいやったら新聞も売れたやろ」
あまり本筋に関係はないが、“中西節”があったので紹介しておく。
この人の語りには独特の味がある。
「ワシは、いまのプロ野球の中で、一番のスターは野村(克也。南海)だと思う。あんなふうに徐々にのしてくるのが、ほんまのスターや。
そのほかは薄っぺらいジャコばかりや。ちょっと出てきて、3割打った、20勝したというて、チヤホヤされとる。大体、いまプロ野球に入ってくるやつはカネが目当てばかりや。
自分で自分のことをいうのはおかしな話だけれど、ワシが西鉄に入ったときは、ユニフォームを着せてもらえる、修行のためや、これだけを考えとった。カネなんか問題外やった。
いやほんまやで、これは!」
15日の試合は
和田博実の3ランが出て西鉄が3対2で勝利。翌16日は
野村克也の49号ホームランが出て南海が6対3で勝利と最後の対決は1勝1敗で終わった。
150試合の長丁場も、残るは西鉄4試合、南海1試合となった。互いの相手はすべて近鉄だ。
巨人・
長嶋茂雄と激しく首位打者を争っていた
古葉毅に悲劇が起きた。
10月12日の大洋戦(
広島市民)で
島田源太郎のシュートが左アゴに直撃。骨折し、そのまま閉幕となった。
島田は荒れ球で知られ、古葉負傷を名古屋の宿舎で聞いた長嶋は、
「島田の球か。あれはちょっとよけきれんからな。それにしても気の毒だね」
と語った。
この日の試合終了時点で長嶋の打率は.345、古葉は.339。ただし、最終的に10月の月間打率が.271だった長嶋に対し、古葉は、8月が.474、9月が.371、10月が.386と打ちまくっていた。
ケガなければ逆転でタイトルの可能性も十分にあった。
最後にお詫び。
この原稿は26日夜に書き、27日朝アップに設定したつもりだったが、設定を26日9時と打ち間違え瞬時にアップされてしまった(というか、表示的には過去にさかのぼった)。
すぐ消そうと思ったが、うまくいかず、やむなく27日朝と2回、まったく同じものをアップすることにした。
混乱したとお怒りの方がいたらお詫びします。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM