1938年3月1日、南海野球株式会社が設立されたから80年が経過した。47年にチーム名が南海ホークスとなり大阪で黄金時代を築いたチームは現在、九州・福岡の地でダイエーを経て、ソフトバンクホークスとして栄華を誇っている。プロ野球史に燦然と輝くホークス。その栄光の歴史を週刊ベースボールONLINEで振り返っていこう。 59年ぶりの90勝到達

2015年、日本一連覇を果たし胴上げされる工藤監督
2014年に3年ぶりの日本一となり、
秋山幸二監督が勇退。15年は
工藤公康が新監督となり、スローガンは
松田宣浩でお馴染みの「熱男」。主力選手の退団も、大型補強もなく連覇へのスタートが始まった。
開幕の
ロッテ戦(ヤフオクドーム)は4年連続開幕投手の
攝津正が8回2失点の好投を見せたが敗戦。翌日、4対2で勝利し工藤監督に初白星をプレゼントした。
3、4月は13勝11敗2分け、首位の
日本ハムに2.5ゲーム差の2位と順調にスタート。三番に座った
柳田悠岐は打率.350の好成績。四番を任された
内川聖一も打点20とチャンスに強いバッティングを見せ、打撃陣を支えた。先発投手では前年後半病気から復活した
大隣憲司が3勝1敗、防御率1.23。開幕直前に育成から支配下登録されたバリオスが10試合連続ホールドをマークし成長を見せた。
不調だった五番・
李大浩が5月6日のロッテ戦(ヤフオクドーム)から4試合連続本塁打を放ち、その月は打率.439、8本塁打、24打点で月間MVPを獲得。5月17日に初めて首位に立つが、交流戦直前の日本ハム3連戦(札幌ドーム)に1勝2敗。その日本ハムに1ゲーム差の2位で交流戦に突入した。交流戦はこの年から18試合制となり、またリーグ対抗戦の要素が強くなった。ソフトバンクは12勝6敗で2年ぶり5度目の勝率1位。パ・リーグは
オリックス以外全球団が勝ち越し61勝44敗3分けと圧勝した。
リーグ戦が再開し、最初は0.5ゲーム差で首位の日本ハムとの直接対決(ヤフオクドーム)。初戦は3対3の同点から9回裏に代打・
吉村裕基のタイムリーでサヨナラ勝ち。2戦目を11対1で快勝すると、3戦目は0対2で迎えた7回裏、
明石健志のタイムリーで1点差とすると、一死満塁から内川が走者一掃の二塁打を放ち逆転。6月14日に来日初登板を果たした
バンデンハークが7回2失点、13奪三振の好投。見事に3連勝を飾り、チームは勢いに乗った。
6月は16勝5敗、7月5日には貯金を20にして、7月は13勝4敗。この時点で2位の日本ハムには7.5ゲーム差。28日から8連勝。その7連勝目の8月5日、93試合目にマジック38が早々点灯。8月は17勝6敗1分け。9月は5日から7連勝と勢いは止まらず、17日の
西武戦(ヤフオクドーム)に5対3で勝利し、4年ぶりのリーグ連覇を達成した。優勝まで3連敗したのは4月25~27日の1度だけ、2連敗も4度だけと強さばかりが際立つチームで、リーグとしては02年の西武以来の90勝をマーク。ホークスとしては実に59年ぶりの90勝到達だった。
30本塁打トリオが誕生

初のトリプルスリーを達成した柳田悠岐
リーグのMVPを獲得したのは柳田。西武・
秋山翔吾との首位打者争いを制し、打率.363でタイトルを獲得。リーグ3位の34本塁打、2位の32盗塁をマークしトリプルスリーも達成した。リーグ2位の35本塁打を放った松田はリーグタイ記録の3本のサヨナラアーチを放つ活躍。李大浩も31本塁打をマークし、30本トリオが誕生している。
開幕から先発陣に入った
武田翔太は6月に3勝をマークし月間MVPを獲得。13勝を挙げチームの勝ち頭となった。
スタンリッジは2年連続2ケタの10勝。バンデンハークは7月に月間MVPを獲得し、初登板から無傷の9連勝。奪三振率11.61と驚異的な数字も残した。2年目の
サファテもパ・リーグ新記録となる41セーブを挙げてタイトルを獲得した。
クライマックスシリーズも3位から勝ち上がってきたロッテを3タテ(4勝)、5年前のリベンジを果たし日本シリーズに進出。相手はトリプルスリー達成の
山田哲人を擁する
ヤクルト。第1戦(ヤフオクドーム)は松田の先制アーチなどで4対2。第2戦も李大浩が先制2ランを放ち試合を優位に進めると、バンデンハーク-サファテのリレーで完封。舞台が神宮に移った第3戦は、山田に3連発を浴び敗れたが、第4戦は李大浩が4打点の活躍で6対4と王手をかけた。第5戦も李大浩の一発で2点を先制。先発したスタンリッジも6回を零封。リリーフ陣もヤクルト打線を抑え5対0で完勝し連続日本一を決めた。
連続日本一は90~92年に西武が3連覇したとき以来でホークスにとっては初めてのことだった。
<完>
写真=BBM