今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 稲尾和久と金田正一の丁々発止
今回は『1963年12月2日号』。定価は40円だ。
日本一になった巨人の“儲け”が5億円と言われ、それを元手に読売ランド内に球場、合宿所建設の計画が持ち上がっている。
なお当時の巨人選手の総額年俸は12球団中4位、月の総額が2000万と言われていた。うち前年の契約では長嶋茂雄が90万、
王貞治が60万だったらしいが、ともに大幅アップとなるはずだ……と言っても10万円くらいらしいが。
スワローズが揺れていた。
国鉄と経営に参画したサン
ケイの争いだ。国鉄側と見られた
浜崎真二監督更迭の噂が流れ、新監督候補にはサンケイ専属の評論家・元西鉄・
大下弘らの名前が挙がっていたようだ。ただ、これもサンケイの記者となっていた元
阪神コーチ、
林義一が大下までの“つなぎ”となる説も出ていた。
浜崎は、
「Aクラスにはなれなかった失敗とは思わん。カネを出してくれるだけのサンケイの言いなりになる必要はないだろう」
と言っていたが、国鉄側もすでに南海のヘッドコーチ、
蔭山和夫の監督招へいに動いていたらしい。
大洋は62年途中巨人を退団した
別所毅彦のヘッドコーチ就任を発表。
三原脩監督、中部謙吉社長同席で会見を開いた。中部社長がなかなかいい。
会見で抱負を語った別所に、
「別所君、ヘッドコーチもいいが、それよりときどき君が登板したらどうかね。僕はだね、君はまだ30勝ぐらいできるんじゃないかと思うのだがね」
別所が「いやあ」と頭をかくと、
「1勝につき僕が10万ずつ出してもいい。しかし君が打たれて負けたら僕は10万円いただく」
これには記者団も大爆笑だ。
11月19日には東京会館でこの年の殊勲選手の表彰が行われた。
ここの檀上での西鉄・
稲尾和久(パ最多勝)、国鉄・
金田正一(セ最多勝。13年連続20勝ほかでのコミッショナー表彰)のやり取りも紹介しよう。
まず稲尾。
「実は金田さんは、私たちにとって目の上のたんこぶで金田さんにいつまでの連続20勝されるのははなはだ迷惑なのです。私は金田さんに、20勝することはいい加減にやめて後輩に任せろ、と言ったことがあるのですが、いまだに20勝しているというのは、はなはだ遺憾であると思っています。やはり金田さんは、いい加減に後輩に花を持たせたほうがいいのではないかと、私は思っている次第です。それでもなお、金田さんが20勝するというのなら、金田さんの場合、20勝以上の勝ちを勝ち星として計算したらいい、と思います」
細い目のまま淡々というからまたおかしい。場内爆笑だ。
「金田、一言いえ」の声が飛び、「それでは」とすぐさま金田が登壇。
「稲尾君は僕を目の上のたんこぶというけど、僕からいえば、稲尾君こそたんこぶなのです。なぜかと言えば、僕と稲尾君は5年の差があるが、僕が20勝をやめれば、稲尾君がたちまち僕の連続20勝の記録を抜くでしょう。だから僕も稲尾君が連続20勝をやめるまではやめるわけにいかんのです。僕はおたがい競争しながらやっていきたいと思っています」
これには会場大拍手。さすが金田である。

国鉄の新球場はいま
今週の2枚目。
5月10日、国鉄が神宮第二球場跡に新本拠地球場建設を発表したが、工事はご覧のように進んでいない。下は完成予定図。なお、このページは「写真で見る1963年度10大ニュース」の10番目。
では、また月曜に。
<次回に続く>
写真=BBM