今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 ミサイル打線崩壊
今回は『1963年12月30日号』。定価は40円だ。
ストーブリーグが活発だ。
阪神と大毎のトレードは、阪神・
小山正明の譲渡が決定。大毎・永田雅一会長は「見返り選手は阪神に指名権を与えた」と語り、実質、
山内一弘、
榎本喜八のどちらかに絞られた。
実は大毎は小山を榎本で取り、山内は中日の江藤慎一との交換要員と考えていたようだ。
ただ、榎本は一塁しか守れず、阪神の一塁には
藤本勝巳と
遠井吾郎がいたことで、外野手の山内を希望するのでは、と言われていた。
すでに大毎は
葛城隆雄が
前田益穂とのトレードで中日へ。
田宮謙次郎が引退を発表した。1960年リーグ制した「ミサイル打線」は、これでほぼ崩壊したことになる。
これについて永田会長は、
「何がミサイルかね。ミサイルは打つことだけか。あんな醜態とも言える成績しか残せず、何がミサイルや。やはり統制の枠に入って打たなきゃダメなんだよ」
とわめく。
同年、大毎は5位だった。
契約更改も本格化。
巨人の長嶋茂雄は、「ついに年俸1000万円台に乗せた」とある。
ただ、これは知っている方がいたら教えてほしいが、「月給は130万円になった」ともあった。これを12カ月にしたら1560万だが、単に大ざっぱに書いてあるのか、それとも払わない月もあったということか(10分割とか)。
長嶋の上を行くのが国鉄の金田正一。こちらは1500万円と言われる。
さらにその上を行くのが、中日のマーシャルだ。4万5000ドルで1620万となる。当時は固定相場で1ドル360円だった。

野村克也52本塁打で胴上げ
今回の2枚目。
この週の
佐々木信也連載対談にも出ていた南海・野村克也。63年シーズンの最終戦(近鉄戦)最終打席で日本新の52号本塁打をマークし、胴上げされた1枚だ。
カウント0-3から外のボール気味の球を運んだ。
野村は、
「敬遠するようなことをするから、こっちはカーッとしてしまう。よーしと思って何も考えんと、もうどんなボールがこようが引っぱたけという気持ちでいったから打てた」
と振り返る。
いつの間にか1963年最後の号となった(発売は別)。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM