今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 カネやん「心を太らせるな」
今回は『1964年3月2日号』。定価は40円だ。
巨人─
阪神、阪神─巨人は、古くから球界のドル箱だった。
古くは洲崎決戦、ミスタータイガース・
藤村富美男の猛烈タックル、天覧試合など、幾多の名勝負があったが、お互いの意地をぶつけ合う真の死闘になったのは、1962年に藤本定義監督が、
青田昇コーチとともに「打倒巨人」を打ち出し優勝を飾ったあたりからだったようにも思う。
63年限りで青田は退団したが、藤本監督は、この64年も打倒巨人にいろいろ“仕掛ける”。
阪神春季キャンプ、V奪還に向け、藤本定義が強調した策は「
王貞治封じ」だ。
「長嶋(茂雄)とは勝負しても王(貞治)は四球で歩かすよ」
もちろん、長嶋へのけん制はあるだろうが、王の成長を感じていたのもあるはずだ。
今回は、少し先走った話が多くなるが、64年、王はシーズン最多(当時)55本塁打をマーク。
選手生活晩年のぎりぎりのホームランの印象が強い人もいるかもしれないが、全盛期の王は場外弾も多く、まさに怪物だった。
ただ、このあたり不思議なのだが、「長嶋には通用せんが、王など手も足も出ん」と藤本監督が王キラーとして紹介しているのが、右のアンダースロー、
石川緑だった。
63年は王に4打数3安打と打ち込まれている男だ。
しかも、64年の石川は10勝を挙げブレークするも、巨人戦はわずか3試合の登板で5イニング。王とは1打席の対決のみでヒットを打たれている。
藤本監督、言葉と腹の中はかなり違う。
また、「うちには3Bがそろった。絶対上物に違いないわい」と藤本監督が言っていたのが、バッキーに加え、新外国人の
ベルトイア(内野手)、バーンサイド(左投手)だ。
王は64年、対阪神で.236と抑え込まれているが、実は真の王キラーは、3Bの中の2Bだった。
バッキーが26打数で被安打3、バーンサイドが19打数1安打。王は対阪神9本塁打だったが、うち4本が5月3日の1試合4打席4安打の離れ業だったから、しっかり抑え込んだことになる。
藤本監督の王封じは大成功ということだろう。
話の最後は、
「川上野球は固まった、というが、固まったら川上野球の力はなくなる。巨人は弱くなるよ」
だった。
今回も
金田正一「プロ野球なで斬り帳」(前回「帖」と書いたのが間違いでした)から引用。
心が太ってはいかん、という章からだ。
選手にとって一番禁物は心を太らせることや。どういうことかといえば、俗にいう慢心しないということや。
ピッチャーは、前の年調子がいいと、あくる年、その調子がよかったという気持ちがずっと続く。気持ちの中にある程度前年度のよかったカンが残っておる。
そういう気持ちが残っているから、練習を怠ってロスをする。つまり自信過剰になって、俺はもう大丈夫だと努力を怠る。
こういう状態のままでシーズンに入ってしまう。そうするといざ本番になってから、心だけはやれるつもりでも、体がいうことをきかん。球が走らんということになる。
だから去年のことは忘れて、ことしはまた1年生でやる、という気持ちにならんといかん。
毀誉褒貶の多い人だが、現役最後まで、この心持でやっていたことは確かだろう。
なお、
林義一監督に止められた打撃練習は、途中から認められ、再開している。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM