今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 一本半足打法も登場
今回は『1964年3月9日増大号』。定価は10円上がって50円。恒例の選手名鑑号である。
巻頭では、一本足打法で大ブレークした巨人・王貞治が二本足打法に戻した、という記事があった。
関係者と王で、こんな会話があったという。
「一本足打法は君のトレードマークじゃないか。一本足で2年連続本塁打王になったのだから、いまさらレッテルをはがすことはないだろう」
「一本足が僕の看板だなどと思ったことはないよ。そんなものにこだわっていたら僕の成長がストップしてしまう」
王が一本足打法となったのは、62年途中だが、王の中では完ぺきに納得してはいなかったようだ。
63年の春季キャンプでは
荒川博コーチにこう言っている。
「今年は3割を打ちたいので二本足で打ってみようと思うのです(62年は.272)。どうも一本足ではタイミングが狂って仕方がない」
荒川は許可せず、このときはこれで終わった。ただ、荒川も王がしっかりタイミングが取れるようになったら二本足という構想は持っていたようだ。
63年終盤には、投手にタイミングを狂わされたことで悩んだ王が西鉄との日本シリーズで、時々足の上げ方を小さくし、シリーズ中に放った4本のホームランのうち2本は、いわゆる「二本足打法」によるものだったという。

王の二本足打法“転向”を伝える記事
ただし、このキャンプでは足を気に過ぎたのか手打ちが増え、打撃不振に陥っていた。その後、少しだけ上げる「一本半足打法」にし(王は「違うよ、普通の二本足」と苦笑していた)、調子を取り戻しつつあるという。
これは速球系はすり足、ゆっくりした変化球ではやや足を上げるというものだったらしい。
王の中で一本足のほうが「飛ぶ」という感覚があった。アベレージと長打の両立を目指す中での試行錯誤だった。
川上哲治監督は、そんな王をほぼ“放任”。
「王は二度もホームラン王になり、去年は3割打った男ですよ。一本足か二本足かは王自身が自分でつかむべき問題ですし、大丈夫ですよ」
では、またあした。