いくつか、心の中に深く刻まれている、野球を扱ったドキュメンタリー番組がある。その中の一つ、1986年7月に放送された『NHK特集』を久しぶりに見た。
タイトルは『清原と桑田~18歳の大物ルーキー~』――。
ライオンズに入った清原和博とジャイアンツに入った桑田真澄。PL学園でKKコンビとして夏の甲子園を二度、制覇。時代の寵児となった二人の18歳の、プロ1年目に密着したドキュメンタリーである。今では当たり前になっている手練れた手法とはまったくかけ離れた、粗削りな番組の作り方に改めて圧倒される。
まず、いわゆる“座り”のインタビューがほとんどない。二人にひたすらカメラが密着する。18歳の桑田は大人びていて、いつも穏やかに対応する。「大丈夫?」「撮れてます?」と、カメラマンへの気遣いを忘れない。一方の清原はいつも不愛想だ。ディレクターの問いかけにも決して足を止めようとはしない。それでいて、カメラが自分にまとわりつくことを受け入れているようでもある。合宿所で一人、試合で切った唇を気にしながらうどんをすするシーンや、大阪から上京した家族とレストランで食事をするシーンなどは隠し撮りのようだ。それでも母と子の会話ははっきり聞こえるのだから、お母さんにマイクがついているのかもしれない。もちろん清原も、遠目から撮影していることは知っているようだ。そんな演出が不思議な緊張感を漂わせる。そして、今は亡きNHKの西田善夫アナウンサーによるこの番組のナレーションは、驚くべき一言から始まっていた。
「作り笑いをしません……清原和博、18歳」。
これが第一声だ。
番組は、清原が一人で歩いて球場入りするシーンから始まる。あれは後楽園球場だろう。群がってくる女性ファンの黄色い声が飛び交う中、清原は何度も何度も足を止めて、そのたびにファンとの写真撮影に応じながら関係者口へ向かう。ただ、立ち止まって写真撮影に応じるとき、清原は一度として作り笑いをしない。
そしてこの第二声に続く。
「桑田真澄、18歳。サインを嫌がりません」
閑散とした多摩川グラウンドで練習を終えた桑田に、ファンがサインを求めた。彼は快く応じる。高校を卒業していきなり、一軍で試合に出ている清原と二軍で鍛える桑田の、たくさんあるうちの一つのコントラスト。番組は生音を活かす形で進み、ナレーションは最小限、音楽はほとんど入らない。
そしてプロで十何年もメシを食ってきた、やたらとカッコいいベテランたちが番組を彩る。清原に一塁のポジションを脅かされながらも、数少ない出場機会にホームランを連発していた一本足打法の36歳(当時)、
片平晋作(今年1月に逝去)は、爽やかな笑顔を浮かべながら、こんな心に響くことをサラッと口にする。
「開幕当初、僕がファーストを守っていたら、スタンドからやいのやいの言われるんですよ。『何でお前が守っとるんだ、清原を出せ』って(苦笑)。最初は軽く受け流していたんですけど、そのうちメラメラっときましてね。よーし、そこまで言うんならやったろか、こっちもプロだし自分の生活も懸かっとるし、ここでヘナヘナっとなったら男じゃないですからね」
当時の球界ナンバーワン、(阪急)ブレーブスのエース・
山田久志もカッコよかった。タバコを燻らせながら、粋な言葉を紡ぐ。
「もう、やりにくくてしょうがないんです。できることならベンチにいて欲しい。僕ら、17、18年やってきた選手が、18の子に打たれるわけにはいかんのですよ。いや、僕のシンカーを投げておけば、打たれないと思います。打たれっこないという気持ち、あります。ただ僕はシンカーは使いたくない。あのくらいのバッターといったらおかしいですけど、彼のことは真っすぐで抑えたいという気持ちがどっかにあるわけですよ。高校出て何カ月のバッターに、プロで何年もやってきたピッチャーがカンカン打たれよったら、そりゃ、考えんとイカンですよね」
片平にしても山田にしても、揺らぐことのない矜持があるからこそ、自らの強さも弱さも曝け出せる。そして彼らの言葉を丁寧に拾って、一切の加工を施さず、間を大切にしながら、そのまま視聴者に提供する。これもまた、演出家としての自信がなければできない番組作りだと思った。
温故知新――30年以上も前のドキュメンタリーに刺激を受けて、タオルを絞るが如く脳ミソをギュッと、さて次はどの選手の、どんな真実を、どんなふうに伝えようかと考える。今のプロ野球、誰のどんなドキュメンタリーが求められているのだろう――。
文=石田雄太 写真=BBM