今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 淡島千景、怒る;
今回は『1964年3月28日増大号』。定価は10円上がって50円だ。
さらなる高みを求め、自身をブレークさせた“一本足”を卒業し“二本足”に挑戦した
巨人・
王貞治。
しかし、この打撃改造はうまくいかず。オープン戦23打数無安打と不振のどん底にあった。
3月8日の西鉄戦で王はついに決断。一本足に戻すと、いきなり2試合で8打数6安打、うち4本塁打と打ちまくった。
「これまでタイミングが取れなくて。4本も打てるなんて自分でもおかしいくらいだ」と王。
どうやら今後も一本足で落ち着きそうだ。
実はこの時期、
長嶋茂雄も不振だったが、マスコミは映画「勝利の旗」で共演した淡島千景と長嶋が交際しているのではないか、それが長嶋の不振につながっているのでは、と書きたてた。
これに怒ったのが淡島だ。そんなのはデマだと雑誌『婦人公論』のインタビューで抗議した。
「そんなにムキになるなという方もありますけれど、江戸っ子の短気から間違いは間違いとしていわなくては気がおさまらないの私。
とくに私がいやだと思ったのは、長嶋さんと誰かの仲を私がさいたとか、結婚の邪魔をしていると書かれたことです。私はそういう人間がもっともいやなのに、いつの間にか私がそのいやな女にされていたとは、ちーとも知らなかった」
気風もよく、なかなかチャーミングな方だったようだ。
63年にジャイアンツから
中日入りし、打率.301を残したニーマンと中日がもめていた。
メジャー通算1018安打、完全にリタイアしたわけではなく、前年32試合ながらメジャー出場があった。
バリバリのメジャー・リーガー来日と話題となり、そこそこの活躍をし、1年で退団した。
ニーマンはアメリカの「スポーティング・ニュース」のインタビューに応じ、日本球界での思い出を語った。
それ自体は好意的なのだが、その中で「私が中日ドラゴンズと契約した中で2割9分を打てば3000ドルの賞金をもらえるとあったが、もらえなかった。コミッショナーに相談している」とあった。
中日側の言い分は「2割9分は規定打席に達しての基準。達してないではないか」だった。確か記録を見るとにニーマンは規定打席に47足りていない。
実際、ニーマンは退団時に「中日とニーマンの権利義務はいっさいなくなった」と書かれた契約書にサインしており、ついつい愚痴ったというところらしい。

淡島千景