今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 巨人を脱走した土山少年
今回は『1964年5月11日増大号』。定価は2号連続で10円上がって50円だ。
連勝連敗が続き、大洋、
阪神の後塵を拝す巨人だが、ON砲は爆発中。
29試合消化の4月27日時点で
王貞治が打率.412、12本塁打、30打点。長嶋茂雄が打率.347、14本塁打、34打点。長嶋は4試合連続弾もあった。
巨人の二軍では土山という選手が脱走した。二軍にも属さぬ養成選手なのだが、エリザベスサンダース・ホーム出身のハーフで、金髪と青い目のハンサムボーイ。土山目当てに多摩川に通う女性ファンも多かったちという。
西鉄のコーチ、
若林忠志の紹介で巨人入りし、素直な性格でコーチ、先輩からもかわいがられたが、野球の技術が伸び悩み、落ち込むことが多くなっていたという。
パ・リーグでは4月終了時点の1位は前年最下位の阪急だ。
打では
スペンサー、投手では
石井茂雄が軸となっている。スペンサーは30試合終了時点で打率.306、9本塁打、23打点。巨漢ながらセカンド守備での貢献度も高かった。
9連勝もあった石井は
シュート、スライダーが武器。捕手・
岡村浩二(初出修正)は次のように称賛する。
「あの人の球は受けていると気持ちがいい。サインどおり正確に投げ込んでくるし、球も生きている。まるで自分が相手打者をなぎ倒しているような錯覚に陥る」
なお、阪急躍進の一つのきっかけに、あるオーナーの暴言(失言?)があったという。
東京・永田雅一オーナーだ。63年12月のオーナー会議で、
「来シーズンも阪急を除く5球団の競り合いが面白いですね」。
これを聞き、阪急・小林米三オーナーは、近くにいた岡野祐代表に「帰ろう」と一声かけてすぐさま退室した。
その後、2人は銀座で痛飲。小林オーナーは、
「カネがかかってもいい。絶対勝てるチームを作るんだ」
と岡野代表に指示。それがスペンサー、ウィンディの獲得につながったという。
永田オーナーといえば「東京スタジアム」をつくった男だ。
後日談になるが、それが取り壊されたのは、
金田正一が
ロッテ監督になった際、「こんなホームラン量産球場で野球はできん」と本拠地使用をやめたことがとどめになった。
いまはまだ、国鉄の選手時代だが、こんなことを言っている。
「東京の永田さんは偉い人でワシも尊敬をしているが、このグラウンドだけは文句をつけたい。とんでもない球場をつくってくれたもんや。何しろチョコンと合わせただけでスタンドに入ってしまうんやから、まったくピッチャー泣かせの球場や。
左右のふくらみがなくて、のっぺらぼうの上に右から左へ強風が吹くんやからたまらんわい。このグラウンドで投げると、フライが上がるたびにヒヤリとする。これでは寿命が何年も縮まってしまうぜ」
今回の2枚目はサントリーのトリス・エクストラの広告。
人生にナックルボールを
投げてみたい時
そういう時
トリスが飲みたくなります
このコピーも山口瞳作なのか。
何があってもいいや、と思って攻めるときの意なのだろうか。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM