ダルビッシュのトミー・ジョン手術後の復帰過程を見るとやはり過酷だが、大谷はその才能をどう維持していきながら、グラウンドに戻ってくるか楽しみだ
大谷翔平(エンゼルス)がトミー・ジョン手術を受けたことで、最近は2015年の
ダルビッシュ有(現カブス)のときの取材ノートをよく読み返している。
手術後、最初はヒジを90度に曲げた形で固め、ブレースを付け、肩からつるす。移植した腱がじん帯として患部に定着するまで完全にプロテクトする。しばらくは字を書くことも、お箸を持つことも、利き手が使えない。
数週間しブレースが取れ、90度の角度から曲げたり、伸ばしたり可動域を広げていく。さらに手術でできた傷口を癒やす創傷治癒に取り組む。トミー・ジョン手術後のリハビリは長く、痛みもひどく、過酷と言われる。だがダルビッシュはネガティブなとらえ方を嫌った。逆に前向きに彼ならではの旺盛な探究心で向き合っていた。
セラピストの指示に従うだけでなく、色々と自分なりに工夫した。おかげでリハビリはすこぶる順調。腕を動かし始めるとき、じん帯に強い痛みが出る人がいるのだが、ダルビッシュは痛みは出なかったと言い、早く動かせるようになった。当時のレンジャーズの同僚で、2年早く手術を受けていた
藤川球児(現
阪神)が「早いよこの人」と舌を巻いていた。
リハビリ7週間目には可動域を広げるトレーニングも終わる。そこからは徐々に負荷を上げ、ダンベルで肩、チューブで手首のトレーニングを進める。振動を避けるために行っていなかったランニングも8週目には始め、上半身のウエート・トレは13週目くらいから。
それほど順調でも、ボールを投げ始めるまでには、十二分に時間をあけ、5カ月が経ってからだった。「慎重にやっていく。ちょっと長い分には悪いことはない。(急ぎ過ぎて)再手術になる人もいますから、そっちの方が余程大きなダメージになる」とはダルビッシュ。
今、振り返ってもダルビッシュのトミー・ジョン手術とその後のリハビリは成功だったと思う。復帰の16年は真っすぐで99マイル(約158キロ)が出たし、17年はオールスター・ゲームに3年ぶりに出場できた。
今季はヒジの別の個所や、三頭筋を痛めてしまったが、MRI検査で側副じん帯そのものは良好な状態だと分かった。ではなぜ復帰後この2年半は、彼らしいハイレベルの数字が残せていないのか。結果は56試合に先発し、327回を投げ、防御率3.85、18勝20敗。
それは、本人も時折口にするのだが、長く実戦を離れ過ぎたことで、脳が指令する通りに体が動いてくれない、という感覚のズレがあるのだと思う。ダルビッシュは15年3月の手術の前、14年8月に右ヒジの炎症でその年はシャットダウンとなった。実質そこから始まって16年5月に復帰するまで、21カ月もブランクがあった。
極めて高い技術、精緻なメカニックを誇る投手だっただけに、完全に戻すまで時間がかかっているのだと見ている。大谷についても心配なのはそこだ。投手としては20年の開幕戦復帰を予定していて18カ月もある。側副じん帯は確実に良くなるのだろうが、長いブランクで失うものも必ずある。
人間はロボットではないのだから。打者としては早めに戻れるとはいえ、大谷の希有な技術、感覚をどう維持していうのか。気をつけねばならないとないと思うのである。
文=奥田秀樹 写真=Getty Images