今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 別所コーチに登板指令?
今回は『1964年9月28日号』。定価は50円だ。
パでは、首位を走る南海に2位阪急が挑む9月10日からの4連戦があった。
10日が西宮のダブルヘッダー、12,13日が大阪球場だ。まず10日の第1試合は南海が
スタンカの好投で5対1と先勝したが、2試合は
石井茂雄が
杉浦忠との投げ合いを制し、3対2で阪急が勝利。石井は「ここまで来たら毎日でも投げるよ」と強気のコメントをした。
その言葉どおり12日の試合も石井は2対1の7回から登板。
野村克也から同点弾を浴びるも、そこからは抑え、9回には自ら決勝の口火を切る一打を放ち、27勝目を飾った(阪急3対2)。
最後13日の試合は、スタンカが1失点完投で24勝目。南海の残りは3試合、阪急は7試合。「もはや優勝も見えてきたのでは」という記者の質問に、南海・
鶴岡一人監督は開口一番、「アホ抜かせ」(南海4対1)。
この熱闘の最中、大阪球場の外野席でひと騒動があった。
警察による野球賭博への手入れだ。
当時、関西の球場ではかなり大っぴらに野球賭博が行われていた。この日も外野席で、
「南海七分で10本買いや」「1対1でどうや。阪急買わんか」などとやり取りがあった(分はハンデのこと)。彼らの手には千円札、1万円札がわしづかみにされている。
今回は彼らの中に約80人の警官がもぐりこみ、賭け屋やファンを装いチャンスをうかがっていたのだ。
逮捕者は29人。押収した賭け金は120万円あまり。彼らはイニングの得点差などに対して千円から1万円かけるという方法で、胴元はその1割をてら銭としていた。
西宮、甲子園、大阪球場には10人くらいの胴元がいて、これに常に30から40人程度の張り手がついていたという。
一方、大洋が首位も2位の
阪神が僅差で追うセでは、いままでベンチにいた大洋・
三原脩監督が一塁コーチスボックスに立って話題となっている。実はこれ、中部謙吉オーナーの意見だった。
「君が陣頭指揮を執れば、チームにも張りが出るやろ。ナインの気持ちがぐっと締まったものになる」
一方、中部オーナーは別所毅彦コーチに、
「どうや別所君、いよいよ投げてみんか。君の体なら練習せんでも大丈夫。いつでも投げられる。1勝20万や、どうや」
別所は目を白黒させながら「とんでない社長、私はとても無理ですよ」と言った。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM