今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 スタンカ、バッキー対談
今回は『1964年10月19日号』。定価は50円だ。
日本シリーズは早くも第3戦まで終わっているが、ここではまず前号に入り切れなかった阪神優勝シーンを振り返る。
雨で日程が狂いまくった阪神の最終戦は9月30日、要は日本シリーズ第1戦の前日、
中日とのダブルヘッダーとなった。
1勝でもすれば阪神優勝、2敗なら大洋優勝だ。
阪神は夜6時46分、第1戦に勝利し、優勝決定。途端に甲子園に詰めかけた大観衆が一気にグラウンドに降り、すさまじい騒ぎになる。ファンは藤本定義監督だけではなく、近くにいる選手、というかユニフォームを着ている人間を次々胴上げ。この際、帽子を盗まれた選手もたくさんいた。
若き四番・
遠井吾郎は
山内一弘にもらったという金縁のメガネをなくし、
「帽子ならまだいい。ワシはメガネがない。商売あがったりや」
とぼやいていた。
第2戦の後、優勝セレモニーをし、ロッカールームでの祝勝会の後、11時解散。その後もそれぞれ「付き合い」がある。朝まで飲んだ選手も多かったようだが、いくらナイターとはいえ、翌日からの試合はきつかっただろう。
第1戦は南海・
スタンカの完封、第2戦は阪神・バッキーが勝利投手と互いに助っ人投手の活躍で1勝1敗。その後、バッキー、スタンカが本誌で対談もしていた。この内容は、以前ほかの記事で引用したことがあるので省くが、2人は日本シリーズ1、2戦の不入り、またレギュラーシーズンでも
巨人戦以外、なかなか客が集まらない現状を嘆いている。
ドラフト制への動きも前進していた。
このときの記事では「ドラフト制」ではなく、「新人プール制」となっているが、新人をまずプロ野球機構全体で登録した後、各球団と本人の希望に応じ、配分しようというものだ。
スカウト合戦によって高騰した契約金を抑えることが目標である。これについて、まずは両リーグの合同小委員会で検討されることが決まった。
新人では、海南高の
尾崎正司が9月30日南海と契約とあった。のちのプロゴルファー、ジャンボ尾崎で、プロ入りは西鉄のはず。気になって先々の号もざっと見たのだが、見落としたか、記事がなかったか、いつの間にか西鉄入りで笑顔の尾崎の記事があった。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM