今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 阪急ベンチに51番の宝塚嬢?
今回は『1965年4月19日号』。定価は50円だ。
鎌倉学園高から1964年に国鉄入りし、1年目から8勝を挙げた
半沢士郎。とにかく球は速く、当時、球速では先輩・金田正一をしのぎ、球界最高では、とも言われていた。
この半沢の球速を測る実験が行われた。
最初に言っておく。当連載の担当者はバリバリの文系。当時の記事をそのまま掲載するが、疑問を寄せられても、たぶん答えられない。あしからず。
実験方法は、直径60センチのドーナツ型の円型機械を用意し、その内側にフォート・トランジスタ20個をはめ込み、放電。いわゆる電気のカーテンを作る。
そしてこの円型機械を2つを36センチ離して置き、2つの穴を投手が正確に通過すれば、ボールが最初の穴から2つめの穴を通過する36センチに要した時間を100万分の1秒まで計測できる(らしい)。
これで半沢の球の秒速が42.6メートルと分かった。時速にすれば153キロ超となる。しかもこのとき半沢は運動靴で、下はマウンドではなく、コンクリートだった。
タイトルに幻としたのは、65年以降は故障もあって目立った成績を残せなかったためだ。
天才肌だったようで、かわいがっていた金田が時に苦言を呈したらしい。その金田が巨人に移籍した、この年の春季キャンプ、前年より10キロ以上の体重増だった。
阪急の背番号51、つまりは
オリックスの
イチローの先輩に女性がいたかもしれない、という話があった。
発端は、あるスポーツ新聞に載った「阪急のベンチに今年からマ
スコット・ガールが登場」という記事だった。
これは
スペンサーが「メジャーにはマスコットボーイがいる。日本でも女の子をベンチに入れては」と進言。
西本幸雄監督も、
「それはよかろう。美女をともなった球場の騎士なんていいじゃないか」
と語り、宝塚劇場の美和久百合嬢に白羽の矢。背番号はテレビ番組「宝塚51」にちなみ51にした、という話だった。
お分かりと思うが、完全な作り話。美和嬢も「野球は好きですけど、男ばかりのベンチに入るのは嫌ですわ」とハトが豆鉄砲を食らったような表情だったという。
ではまたあした。
<次回に続く>
写真=BBM