
日本ハム入団会見の落合(左は大社オーナー、右は上田監督)
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は1996年12月12日だ。
「長嶋監督を胴上げしなければ末代までの恥になる」
93年オフ、誕生したばかりのFA制度を使って、
中日から
巨人へ移籍した
落合博満はそう固く誓った。40歳を超えていたが、四番として奮闘。言葉どおり、94年、96年と2度、チームをリーグ優勝に導いた。
しかし、96年オフ、巨人は一塁のポジションがかぶる
清原和博をFAで
西武から迎え入れた。「清原と私の起用で悩む長嶋監督の顔を見たくない」。落合は自由契約となり、新天地を求めた。希代のスラッガーの獲得に
ヤクルト、日本ハムが名乗りを上げたが、落合が選んだのは日本ハムだった。
96年12月12日、都内のホテルで2年、年俸3億円(推定)で正式契約。契約後には大社義規オーナーも同席して、入団発表が行われた。
「これで4回目の入団発表の席だが、オーナーと同席は初めて。期待の大きさを感じる」と落合は表情を緩めた。
「落合君のような“生きた見本”“生きた教材”が若手の成長を促すと信じている。伸び盛りの選手がウチには多い。落合君のようなバッターに直接接することで
田中幸雄や
片岡篤史らもひと皮もふた皮もむけるはずや」と落合加入によるプラス効果を
上田利治監督は、そうほくそ笑んだ。
写真=BBM