今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 マッシ―のアメリカンドリーム
今回は『1965年6月21日号』。定価は50円だ。
エースと期待した
金田正一がヒジ痛で本調子でない中、
巨人がついに首位に立った。
原動力は、抑えでフル回転する
宮田征典。39試合中19試合に登板し、1完投もある。
川上哲治監督は開幕前、周囲が大投手・金田の加入で大騒ぎとなる中、
「金田が入ったから投手陣は万全とか優勝は確実とは思っていない。問題は宮田がファイヤーマン(火消し。消防士)としてやってくれるかどうかです」
と語っていた。
心臓に持病があり、長いイニングを投げさせられないと抑えに指名した選手だが、さすがに「オーバーワークでは」の声も上がっていた。
ただ宮田本人は「そうは思わない」ときっぱり否定。
「投げる日はだいたい分かっているし、投げる回は少ない。7回くらいから投げるつもりでウォーミングアップしています。ゲームはピッチング練習してると思えばなんでもないです。それに試合によく出ると言っても、もしサラリーマンが会社に行って仕事がなかったら寂しいでしょ。僕だって同じだ。みんなに完投されたら寂しくなっちゃう(笑)」
また、川上監督が、先発が打ち込まれる前に宮田に代えていることに批判や疑問の声があるという記事もあった。
当時、リリーフ専門の投手はすでにいたが、あくまで先発のカバー的な存在であり、勝利の継投として使っていたのは、川上監督が先駆者ということだろう。
村上雅則のメジャー生活のルポもあった。もちろん、本業の野球で活躍してこそなのだが、サンフランシスコの街を歩いていると少年少女から「マシー」と声がかかり、生活は豪華なホテル暮らし。ホテルのプールサイドでくつろいでいると、金髪美女が取り囲む……。
まさにアメリカンドリーム。南海の相部屋の寮には戻りたくなかっただろう。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM