背番号は、ある選手が引退しても、またある選手に受け継がれていく。2019年も新たな後継者が誕生した。その歴史を週刊ベースボールONLINEで振り返っていく。 掛布と同時期には……
中距離打者タイプながら、阪神の四番打者という重い看板を背負ってホームラン狙いに徹した。1985年に21年ぶりのリーグ優勝、初の日本一でも不動の四番打者。80年代を過ごしたプロ野球ファンにとっては、阪神ファンならずとも、この掛布雅之の印象が強烈なのではないだろうか。
2016年に二軍監督として28年ぶりにタテジマのユニフォームを着たときにも「31」を背負った。阪神は初代となるスイッチヒッターの
堀尾文人から、韋駄天の
河西俊雄、爪楊枝をくわえた姿がトレードマークだった
カークランドら、掛布の現役引退後も
広澤克実や濱中おさむら好打者が並ぶナンバーだ。迎えた19年は新外国人のマルテが「31」を希望して後継者となった。
掛布の同時期には大洋に球界屈指の韋駄天だった
屋鋪要、パ・リーグには
ロッテの“走る四番打者”
高沢秀昭がいた。好打者の系譜には
ヤクルトの
真中満、ダイエーの
柴原洋や
日本ハムと
オリックスで背負った
小谷野栄一らがいるが、18年限りで小谷野が引退したオリックスでは、19年からはドラフト1位で入団した新人の
太田椋が継承。小谷野の後継者としての期待も背負う。
【12球団・主な歴代「31」】
巨人 三原修(監督、総監督)、
水野雄仁、
三沢興一、
松本哲也、
畠世周☆(2019年〜)
阪神 堀尾文人、河西俊雄、カークランド、掛布雅之、マルテ☆(2019年〜)
中日 高木時夫、
石井昭男、
森野将彦、
野本圭、
渡辺勝☆(2019年〜)
オリックス
田中照雄、
柴原実、
塩崎真、小谷野栄一、太田椋☆(2019年〜)
ソフトバンク 鶴岡一人(監督)、
阪田隆、柴原洋、
佐藤誠、
栗原陵矢☆
日本ハム
安藤順三、
田口昌徳、小谷野栄一、
岡大海、
村田透☆
ロッテ
若生智男、
吉岡悟、高沢秀昭、
渡辺俊介、
菅野剛士☆
DeNA 大石正彦、
古田忠士(忠司)、屋鋪要、
吉村裕基、
柴田竜拓☆
西武 河野昭修、
永射保、
森山良二、
小関竜也、
佐藤龍世☆(2019年〜)
広島 横溝桂、
深沢修一、
前田智徳、
小畑幸司、
石原慶幸☆
ヤクルト
藤田宗一、
奥宮種男、
橋上秀樹、真中満、
山崎晃大朗☆
楽天 藤井彰人、
美馬学、
福井優也☆(2019年〜)
(☆は2019年)
石原が最長の18年目に突入
広島・石原慶幸
80年代は両リーグの盟主ともいうべき巨人と西武に好投手がいて、巨人では
江川卓の「30」に続く投手との期待を受けた水野雄仁が背負い、西武では永射保が着けてパ・リーグの左打者への脅威となった。また、ロッテでは21世紀に入って「世界一リリースポイントが低い」と評されたサブマリンの渡辺俊介が継承。「31」の系譜で異色の存在だ。
捕手も散見される背番号でもあり、東映で“暴れん坊”の司令塔だった安藤順三が17年にわたって背負い続けたが、広島で現役の石原慶幸が19年に18年目を迎え、「31」の最長に。広島では前田智徳が若手時代の2年だけ着けたナンバーでもある。
古くは、監督の「30」に続くナンバーのため、監督が着けることもあった。巨人では兼任監督で「30」だった
中島治康が選手に専念するため、助監督だった三原修が「31」のまま監督に。“三原排斥運動”で総監督に追いやられた50年まで着けた。南海の鶴岡一人は長く「30」で指揮を執っていたが、65年オフに新監督となった
蔭山和夫の急死を受けて「31」として復帰している。
写真=BBM