背番号は、ある選手が引退しても、またある選手に受け継がれていく。2019年も新たな後継者が誕生した。その歴史を週刊ベースボールONLINEで振り返っていく。 初代に並ぶ投打のレジェンド
1リーグ時代の1942年、
巨人で「32」の初代となったのが
青田昇。“じゃじゃ馬”と呼ばれ、戦後になって5度の本塁打王に輝いた長距離砲だ。同年、
中日の初代となったのが
小鶴誠。アマチュア時代の因縁で、出身地から飯塚姓を名乗っての入団だったが、やはり“和製ディマジオ”と呼ばれた大砲だった。
2リーグ分立の1年だけだったが、
広島の初代が“小さな大エース”
長谷川良平。「18」となって低迷する市民球団を支え続けた右腕だ。一方、2リーグ分立後に
日本ハムと
オリックスの初代となった
伊藤万喜三は現在もプロ野球記録となるゲーム18失点を喫した左腕。長谷川とは違った角度で当時のプロ野球を物語る投手だ。伊藤と入れ替わるように同じパ・リーグの南海へ入団した
宅和本司は新人年から2年連続で最多勝に輝いたが、3年目に急失速。以降、投手は少数派となっていったが、好打者の系譜は近年まで続いている。
打者の出世番号となっているのが西武だ。松井稼頭央は「32」で頭角を現して「7」へ“出世”。その後も移籍してきた
石井義人が開花し、
浅村栄斗は2013年に初の打点王となって、現在は「3」を背負う。松井は
楽天でも「32」から「7」へと同じ経過をたどった。
【12球団・主な歴代「32」】
巨人 青田昇、
滝安治、
大森剛、
橋本到、
宇佐見真吾☆(2019年~)
阪神 バーンサイド、
池田純一、
加藤博一、
坪井智哉、
山崎憲晴☆
中日 飯塚誠(小鶴誠)、
伊藤竜彦、
桑田茂、
山田喜久夫(キク)、
石垣雅海☆
オリックス 伊藤万喜三、
金本秀夫、
細川安雄、
南牟礼豊蔵、
ディクソン☆
ソフトバンク 加藤喜作、宅和本司、
新山彰忠、
佐々木宏一郎、
塚田正義☆
日本ハム 伊藤万喜三、
島田雄二、
中嶋聡、
大累進、
谷内亮太☆(2019年~)
ロッテ 大館勲夫、
若生智男、
新井昌則、
根元俊一、
高浜卓也☆
DeNA 種田弘、
高橋雅裕、
井上純、
高城俊人、
益子京右☆(2019年~)
西武
橋野昭南、
石井毅、
犬伏稔昌、浅村栄斗、
永江恭平☆
広島 長谷川良平、
三好幸雄、
内田順三、
西山秀二、
白濱裕太☆
ヤクルト 小淵泰輔、奥薗満、
尾花高夫、
小野公誠、
松本直樹☆
楽天
沖原佳典、
小坂誠、松井稼頭央、
枡田慎太郎、
ブセニッツ☆(2019年~)
(☆は2019年)
低迷期に輝く稀少なエース

ヤクルト・尾花高夫
近年は移籍などで加入したベテラン打者がリレーしているが、かつては阪神でも台頭する若手が続いていた。好守も印象に残る池田純一を皮切りに、加藤博一はプロ10年目にして「32」でブレークし、坪井智哉は1年目から「32」で首位打者を争っている。
ロッテの“走る将軍”
西村徳文も若手時代は「32」。現役では攻守走で中日を引っ張る
大島洋平もルーキーイヤーの1年だけ着けていた。17年限りで広島を退団した
梵英心も同様で、やはり攻守走にわたる活躍が認められて新人王に輝いている。ただ、広島は低迷期に司令塔の西山秀二が長く着けていた背番号で、梵を挟んで現在は捕手の白濱裕太が継承している。他のチームにも捕手は散見され、中嶋聡は4球団目の日本ハムへ移籍して最初の背番号が「32」。さかのぼれば、ヤクルトの
大矢明彦も新人年だけ「32」だった。
その後継者が尾花高夫。2203イニング連続で押し出し四球がない制球力で、日本一イヤーの78年から低迷期にかけての14年間、ヤクルトと「32」を背負い続けた。少数派の投手にあって、さらに稀少なエースだ。
写真=BBM