背番号は、ある選手が引退しても、またある選手に受け継がれていく。2019年も新たな後継者が誕生した。その歴史を週刊ベースボールONLINEで振り返っていく。 価値を高めたタカのリリーバー
「37」がパ・リーグの捕手ナンバーとなりつつある一方、続く「38」は古くから捕手が多い。大洋で
松原誠は捕手だった若手時代に着け、
中日では
日本ハムから移籍してきた
大宮龍男、芽が出る前の
矢野輝弘が、ともに2年ずつ着けていた。
大宮と矢野の間には好打者の
井上一樹がいるが、「38」だったのは投手時代。
広島で2度の日本一に貢献した強打者の
水谷実雄も入団時は投手で、「38」時代に野手へ転向して大成、現在は“スパイダーマン”
赤松真人の背へと受け継がれている。
好打者の出世番号という傾向もあるが、一貫して「38」を背負い続けたのがV9
巨人の
末次民夫だ。大洋では松原から助っ人のシピンを経て後継者となったのが
遠藤一彦で、新人時代の1年だけ着けてエースへと成長していった。
現役の投手で「38」の価値を高めつつあるのが2018年に日本一となったソフトバンクでクローザーを担った森唯斗だろう。
そんな「38」の傾向を凝縮したのが
ヤクルト。俊足の遊撃手だった
東条文博から名バイプレーヤーの
土橋勝征、捕手の
野口寿浩にリリーバーの
野中徹博と、多彩な顔ぶれが並ぶ。
【12球団・主な歴代「38」】
巨人
井上嘉弘、末次民夫(利光)、
仁村薫、
勝呂博憲、
岸田行倫☆
阪神 三輪八郎、
野田征稔、
山川猛、
マテオ、
小幡竜平☆(2019年~)
中日
堂上照、
島田芳明、井上一樹、
鈴木郁洋、
松井雅人☆
オリックス 木頃博巧、
住吉重信、
高田誠、
相木崇、
小島脩平☆
ソフトバンク 神原重人、
右田雅彦、
西村龍次、
神内靖、森唯斗☆
日本ハム
田村友美、
今井務、
櫻井幸博、
武田勝、
石井一成☆
ロッテ 成重春生、
岡部明一、
早川健一郎、
中郷大樹、
伊志嶺翔大☆
DeNA 吉成武雄、
松井武雄、河野安彦(誉彦)、
川端一彰、
山下幸輝☆
西武 若生忠男、
金城致勲、
相馬勝也、
佐藤友紀(トモキ)、
牧野翔矢☆(2019年~)
広島 水谷実雄、
大久保美智男、
前間卓、
朝山東洋、赤松真人☆
ヤクルト 東条文博、土橋勝征、野口寿浩、野中徹博、
梅野雄吾☆
楽天 山下勝充、
楠城祐介、
橋本義隆、
西宮悠介☆
(☆は2019年)
北の大地で武田が継承も……

日本ハム・武田勝
阪神の初代は三輪八郎。ライバルの巨人にいた
沢村栄治を鏡に映したような左腕で、
藤村富美男は「速球だけで勝負できる数少ない左投手」と評した。沢村に2度のノーヒットノーランを許していた阪神で、1940年に初めて、しかも
川上哲治、
中島治康らを打線に擁する巨人を相手にノーヒットノーランを達成した男だ。弱冠18歳。巨人にとって初の屈辱であり、当時は日本の統治下にあった中国東北部の大連での初の快挙でもある。
ちなみに、達成したのは「38」をひっくり返した8月3日だった。三輪は43年限りで応召、思い出の中国大陸へ出征し、44年に戦死。沢村が戦死する4カ月ほど前のことだという。
左腕では21世紀に入り、日本ハムの武田勝が印象を残している。三輪とは対照的に「球界最遅」とも言われるストレートを正確無比の制球力で投げ込んだ。だが、現役で左腕は楽天の西宮悠介のみ。戦火に消えた左腕の面影は失われつつあるようだ。
ちなみに、なぜ「三輪八郎」という若者が「38」という背番号を着けたのか、正確に伝える資料は残っていない。ちょっとだけ想像の羽根をのばしてみると、たぶん……。
写真=BBM