背番号は、ある選手が引退しても、またある選手に受け継がれていく。2019年も新たな後継者が誕生した。その歴史を週刊ベースボールONLINEで振り返っていく。 黒人選手のパイオニア
「42」は車のナンバーでも“欠番”となっていたことがある。「死に」や「死人」などと読みが通じることから、縁起が悪いと忌み嫌われていたためだという。何も禁止にすることはなかったろうが、車は便利な移動手段であると同時に、走る凶器でもある。念には念を入れて、といったところだろうか。
プロ野球でも欠番であることは少なくなく、外国人選手に与えられる傾向があることは忌み数である「4」と似ている。ただ、異国の地で「42」となった助っ人たちは喜んだのではないか。忌み数どころか、メジャーでは初の黒人選手とされるジャッキー・ロビンソンの背番号。まだ公然と黒人が差別されていた時代の米球界に足跡を残した偉人で、1997年には、それ以前から「42」だった当時の現役選手を例外的に除いて、全チームで永久欠番となった栄光のナンバーだ。2019年の現役選手でも助っ人がズラリと並んでいる。
【12球団・主な歴代「42」】
巨人 新浦寿夫、
メイ、
シコースキー、
山口俊、
メルセデス☆(2019年~)
阪神 冷水美夫、
鏑木悦純、
パチョレック、
下柳剛、
竹安大知 中日 清水雅治、
有働克也、バンチ、ブランコ、
アルモンテ☆
オリックス タイゲイニー、
萩原淳、カブレラ、ペーニャ、エップラー☆(2019年~)
ソフトバンク タイロン、ズレータ、カブレラ、
飯田優也、
松田遼馬☆(2018年シーズン途中~)
日本ハム 川原昭二、
スウィーニー、
木田優夫、
アブレイユ、
黒羽根利規☆
ロッテ ヒルマン、
セラフィニ、ズレータ、
香月良仁、
バルガス☆(2019年~)
DeNA 堀雄次、
クルーン、ハーパー、ブランコ、バリオス☆
西武
真弓明信、
西本和人、カブレラ、
嶋重宣、
マーティン☆(2018年シーズン途中~)
広島 土井文夫、
佐々木勝利、
長谷川昌幸、
バリントン、ジョンソン☆
ヤクルト 田代照勝、
ゴンザレス、木田優夫、
七條祐樹、
坂口智隆☆
楽天 ロペス、
フェルナンデス、グウィン、ヒメネス、
ハーマン☆
(☆は2019年)
投手での筆頭格は剛球右腕

横浜・クルーン
特に楽天では徹頭徹尾、外国人選手がリレーしているが、古くから圧倒的なパワーを誇る「42」の助っ人が活躍している。長距離砲の元祖とも言えるのが近鉄の
ジョーンズ。南海から移籍して「42」となると、2リーグ制で初となる外国人選手の本塁打王に輝いた。
「42」にこだわったのが西武など3チームで12年にわたって背負い、02年に55本塁打を放ったカブレラだ。18年から巨人でプレーしている
ゲレーロは中日の「42」として17年の本塁打王に。2チームで「42」だったブランコも中日で本塁打王になっている。中日の系譜をさかのぼると、デビュー2試合目の登板でノーヒットノーランを達成したバンチもいる。投手で筆頭格と言えるのは、横浜と巨人で背負い続け、当時の最速162キロをマークしたクローザーのクルーンだろう。
日本人選手も坂口智隆がヤクルトへ、黒羽根利規が日本ハムへ移籍して着けるなど増えてきているが、まだまだ全体では少数派だ。特筆すべきは2人の投手で、それまでの2チームで着けていた「24」をひっくり返して阪神で「42」となったのが下柳剛。また、木田優夫は日本へ復帰したヤクルトでの2年目からNPBのラストとなった日本ハムまでの6年間、メジャーでは着けることができなかった「42」でプレーしている。
写真=BBM