背番号は、ある選手が引退しても、またある選手に受け継がれていく。2019年も新たな後継者が誕生した。その歴史を週刊ベースボールONLINEで振り返っていく。 ロッテでは打者の出世番号
現役でも捕手が多いナンバーだが、いずれも不動の正捕手とは言えず、これは系譜においても同様。南海で
野村克也の陰に隠れていたのが
柴田猛で、のちに
ヤクルトで監督を務めた野村をコーチとして支えている。
巨人で大ブレークした
大久保博元も、
西武の二軍で不動の四番だった時代の番号だった。
西武の系譜には初の日本一に貢献した助っ人のテリーもいるが、その1980年代に
阪神で2リーグ制となって初の日本一を支えたのが“助っ投”のゲイルだ。阪神では代打で鳴らした
川藤幸三も若手時代に着けていたが、ロッテの「45」も打者の出世ナンバーだ。60年代から90年代にかけて
得津高宏、
横田真之、堀幸一と若手時代の好打者が並ぶ。94年に正捕手となり、のちに移籍した阪神で「45」に戻して引退した
定詰雅彦を経て、2013年に
田村龍弘が継承。「45」で不動の正捕手となって、17年から「22」を背負っている。
【12球団・主な歴代「45」】
巨人 太田敏彦、
小川邦和、
角三男、
岡崎郁、
今村信貴☆
阪神 川藤幸三、ゲイル、
パリッシュ、
清水誉、
藤谷洸介 中日 柿本実、
水谷則博、
栗岡英智、
森田幸一、
杉山翔大☆
オリックス 太田枝雄、
宇野輝幸、
米村理、
五島裕二、
飯田大祐☆
ソフトバンク 柴田猛、
山田勉、
岡本克道(劼能)、トゥーシェン(
李杜軒)、
谷川原健太☆
日本ハム 嵯峨健四郎、
佐々木貴賀、
増渕竜義、
今浪隆博、
平沼翔太☆
ロッテ 得津高宏、横田真之、堀幸一、定詰雅彦、
宗接唯人☆
DeNA 篠田荘平、
奥江英幸、
大久保弘司、
福本誠、
綾部翔☆
西武
花井悠、テリー、大久保博元、
水田圭介、
本田圭佑☆
広島 岡義朗、ランス、
高橋英樹、
松本高明、
桑原樹☆
ヤクルト
鈴木康二朗、角盈男、
山本樹、
日高亮、ハフ☆
楽天 新里賢、
川井貴志、
菅原秀☆
(☆は2019年)
「45」で頭角を現した苦労人たち

巨人・岡崎郁
「45」の苦労人も多い。筆頭は巨人の岡崎郁だろう。進学を希望しながら
長嶋茂雄監督の説得で入団も、胸膜炎で一時は任意引退に。療養を経て復帰すると“恐怖の六番(七番とも)打者”として一軍に定着、「5」へと巣立っていった。
巨人には、“ライオン丸”シピンの加入で「11」を剥奪されて「45」となったものの、60試合に投げまくって新人王に輝いた1年目の角三男(のち盈男)もいる。左の変則サイドスローという印象が強いが、当時は荒れる速球が武器のオーバースロー。1年だけ在籍した3チーム目のヤクルトで再び「45」を着けて引退した。ヤクルトでは
王貞治(巨人)に通算756号を献上した鈴木康二朗も若手時代に着けている。
角と同様に「45」で1年目からブレークしたのが中日の森田幸一。その中日と阪急の2チームで「45」を着けたサイドスローが柿本実で、「20」だった南海では芽が出ず、中日で「45」となって腕を下げると、移籍2年目から2年連続で20勝を超えた。20勝投手では東映で64年に21勝を挙げた嵯峨健四郎もいる。ただ、注目を集めたのは打撃で、連続シーズン90打席無安打は現在もプロ野球記録。とにかく打てず、投球ではなく打撃に悩んで胃腸炎にもなった苦労人だ。
いずれも着けた期間は短かったが、投手では楽天で
星野仙一監督から「困ったときのボブ」と言われて谷間の先発で初優勝、日本一に貢献した川井貴志が足かけ11年と長い。
写真=BBM