背番号は、ある選手が引退しても、またある選手に受け継がれていく。2019年も新たな後継者が誕生した。その歴史を週刊ベースボールONLINEで振り返っていく。 工藤がいた4チームは左腕がリレー
現役でも左腕が多数派の「47」。左腕のナンバーとして定着させたのが、現在は
ソフトバンクの監督を務める工藤公康だ。西武1年目に「47」を与えられ、ダイエー、
巨人、横浜、そして西武と、29年をかけて渡り歩く。そのうちダイエー移籍2年目までと西武での現役最晩年を除く26年を「47」で過ごした。西武では
帆足和幸が継承。ダイエーからソフトバンクにかけては
杉内俊哉を経て移籍してきた帆足がリレーした。
1年目の
堀内庄が着け、
木田優夫らが継承して右腕のイメージがあった巨人でも、左腕の
山口鉄也が育成出身のセットアッパーとして新たな輝きを加え、
岩隈久志に「21」を譲った
吉川光夫が迎えた2019年に後継者となった。
DeNAではメジャー1年目のメッツでも着けていた尚成(
高橋尚成)を経て
砂田毅樹が継承。山口と同様、育成から這い上がった左のセットアッパーだ。
工藤がプロ野球を代表する左腕に成長した1990年代、
山本昌ら左腕の多かった
中日にいたのが
野口茂樹。99年に19勝を挙げてリーグ優勝に貢献、MVPに輝いて、日本シリーズで工藤のいたダイエーと激突している。
【12球団・主な歴代「47」】
巨人 堀内庄、木田優夫、工藤公康、山口鉄也、吉川光夫☆(2019年~)
阪神 小山正明、
嶋尾康史(慶一)、
伊藤敦規、
山本翔也、
川原陸☆(2019年~)
中日
前田益穂、
関東孝雄(孝夫)、野口茂樹、
松井雅人、
笠原祥太郎☆
オリックス 今西錬太郎、
岡田幸喜、
村上信一、
日高剛、
海田智行☆
ソフトバンク
広永益隆、工藤公康、杉内俊哉、帆足和幸、
高橋純平☆
日本ハム 田中調、
坂巻明、
島田直也、
関根裕之、
田中豊樹☆
ロッテ 小山正明、
欠端光則、
右田一彦、
礒恒之、
田中靖洋☆
DeNA 小山正明、
三浦道男、
竹下浩二、工藤公康、砂田毅樹☆
西武
和田博実、工藤公康、
細川亨、帆足和幸、
カスティーヨ☆
広島 久保俊巳、
金石昭人、
秋村謙宏、
青木高広、
山口翔☆
ヤクルト 大橋一郎、
度会博文、
前田浩継、
赤川克紀、
高橋奎二☆
楽天 ラス、
松崎伸吾、
上園啓史、
大塚尚仁、
渡邊佑樹☆
(☆は2019年)
小山の2チームでは右腕の系譜

阪神・小山正明
居並ぶ左の好投手を圧倒する結果を残した「47」は、右腕の小山正明だ。テスト生として53年に阪神へ入団、「49」から「6」「14」と背番号を変えてきたが、故障もあって伸び悩み(それでも2ケタ勝利は挙げているのだが)、初心に戻る意味で58年に40番台の「47」を着けると、初の大台を超える24勝。卓越した制球力で「針の穴を通す」と言われ、リーグ優勝に貢献した62年には27勝で沢村賞、
山内一弘との“世紀のトレード”で64年に移籍した東京(のちロッテ)でも「47」を着けて、1年目から30勝で最多勝に。大洋で引退するまでの16年間「47」を背負い続けた。
積み上げた勝ち星は320勝。左右を問わず、「47」の好投手たちにとっての“総本山”というべきレジェンドだ。
小山が長くプレーした阪神とロッテは右腕が多い。阪神にはリリーバーの伊藤敦規がいて、ロッテもほぼ右腕の系譜だ。ただ、阪神では工藤よりも前に「47」を着けた
藤原仁が左のワンポイントとして印象を残したこともあり、19年は新人で左腕の川原陸が新たに継承。一方、工藤が監督として率いるソフトバンクではドラフト1位で2016年に入団した右腕の高橋純平が着けている。
写真=BBM