背番号は、ある選手が引退しても、またある選手に受け継がれていく。2019年も新たな後継者が誕生した。その歴史を週刊ベースボールONLINEで振り返っていく。 2000年代を駆け抜けた赤星
2001年、ドラフト4位での入団ながら即戦力となり、背番号「53」と赤いリストバンドで塁間を駆け巡って盗塁王に。以降、セ・リーグ初となる5年連続で盗塁王に輝いたのが阪神の赤星憲広だ。最初は嫌だったという「53」だが、盗塁数の目標に設定すると、03年から3年連続で60盗塁を超える。その03年には優勝を呼び込むサヨナラ打を放って、さらなる印象を残した。故障により、わずか9年で現役引退を余儀なくされたが、すべてのシーズンで2ケタ盗塁を達成。投打ともに多くの選手が出世番号としている「53」を一貫して背負い続けた貴重な名選手だ。
その阪神は好打者の系譜で、3代目は藤本克巳(のち勝巳)で、「5」となって1959年の天覧試合で本塁打を放ち、翌60年には本塁打王、打点王の打撃2冠に輝いた強打者。
西武でも活躍した外野手の
吉竹春樹もいる。
【12球団・主な歴代「53」】
巨人 関本四十四、コトー、
福井敬治、
實松一成、
高田萌生☆
阪神 藤本克巳、
谷本稔、吉竹春樹、赤星憲広、
島田海吏☆
中日 坂本木雄、
川畑泰博、
仲澤忠厚、
柳田殖生、
亀澤恭平☆
オリックス 星野伸之、
中嶋聡、
相川良太、
吉田雄人、
宜保翔☆(2019年〜)
ソフトバンク 祓川正敏、
柏原純一、
金子圭輔、
五十嵐亮太、
泉圭輔☆(2019年〜)
日本ハム 西田亨、
岡持和彦、
小谷野栄一、
工藤隆人、
立田将太☆
ロッテ 呉昌征、
植村義信(コーチ)、
林博康、
原井和也、
江村直也☆
DeNA 島田源太郎、
古田忠士、
石井義人、
野中信吾、
パットン☆
西武 竹之下五十三、
川村一明、
青木勇人、
石川貢、
愛斗☆
広島 高橋里志、
秋村謙宏、
福地和広、
林昌樹、
戸田隆矢☆
ヤクルト 岩崎哲郎、
内藤尚行、五十嵐亮太、ロマン、五十嵐亮太☆(2019年〜)
楽天 坂克彦、
石田隆司、ハウザー、
相原和友、
高梨雄平☆
(☆は2019年)
五十嵐は再びヤクルトの「53」に
ヤクルト・五十嵐亮太
日本球界で一貫して「53」を背負い続けるのがソフトバンクの五十嵐亮太。ヤクルト時代の04年、赤星のいた阪神を相手に当時の最速タイ記録となる158キロの剛速球を投げ込み、メジャーを経て13年にソフトバンクで日本球界へ復帰、19年には古巣のヤクルトで再び「53」を背負う。
ヤクルトでは“ギャオス”内藤尚行の出世番号。古くは完全試合を達成した島田源太郎が大洋で1年目だけ着け、高橋里志は広島へ移籍して2年間を「53」で過ごして、のちにブレークした。
広島は投打に好選手が巣立っていて、
横山竜士は2番目の背番号として「53」を着けた97年に10勝を挙げて「23」へ。西武でも「53」を着けた福地和広(寿樹)はヤクルトへ移籍して08年から2年連続で盗塁王となり、遅咲きの花を咲かせた。
阪急では星野伸之から中嶋聡が継承。バッテリーでリレーして、ともに出世番号とした珍しいパターンだ。日本ハムでも好打者の出世番号で、
森本稀哲、小谷野栄一が短期間ながら若手時代に着けている。
逆に、球史に残る好打者が「53」で現役を終えたケースも。古くは毎日の呉昌征。37年に巨人へ入団、“人間機関車”と呼ばれたアスリートで、3チームで「23」を着け続けていたが、ラストイヤーの57年だけ「53」にして現役引退。
門田博光も南海からオリックスを経てダイエーとなった古巣へ復帰して「53」に。背番号にこだわった門田の5番目にして最後のナンバーとなった。
写真=BBM