強攻日程で甲子園へ

習志野の吹奏楽部は1回戦から準々決勝では「0泊3日」の弾丸ツアーだったが、準決勝後は初めて宿泊できる。休養十分で明日の決勝を控える
習志野高吹奏楽部も体力勝負である。千葉から甲子園までの旅程は「0泊3日」の弾丸ツアー。約10日間で1回戦から「移動→試合→移動」が3度続いたのだから相当な疲労だ。
準々決勝(対市和歌山)は3月30日夜に出発し、31日の第1試合を終え、翌1日の朝6時に学校に到着。朝食を取ってしばらく休憩した後は、ミーティングと練習を約2時間こなした。一旦、帰宅してから夜22時に甲子園へ出発し、2日の早朝に到着している。
1回戦は旧3年生を含めた3学年による200人だったが、2回戦は170人、準々決勝は150人、そして明豊との準決勝は140人とその数を減らしていった。すでに3月7日に卒業式を終えている旧3年生は、新年度となり、それぞれの道へと巣立ったからだ。つまり、140人は新2、3年生による布陣だ。
すでに新幹部に交代していたとはいえ、酒井悠歌部長(新3年)は「旧3年生の偉大さが分かった」と振り返る。そして「まだまだ、自分たちには足りないものがある。思いと熱。野球部のため、先輩たちの10倍、20倍の気合マックスを届けていきたいです」と続けた。
星稜高との2回戦ではあまりの「美爆音」により、甲子園の近隣住民から大会本部に苦情が入り、太鼓の数を減らした。準々決勝では大会本部から「通常どおりやっていい」との通達があったが、周囲への配慮を含めて、1個に自粛した。1日の学校練習では太鼓1個でも対応できる体制を再確認。また、初めて三塁アルプスから一塁アルプス席での応援となるため、隊列の移動などを共有し合った。
甲子園応援において、試合と試合の間のアルプス席の入れ替わりは、時間に限りがある。つまり、スムーズに行わないと、次のゲームに支障が出てしまう。習志野高吹奏楽部の場合、入場に3分、退場に3分のシミュレーションを積んできた。試合終了後、1時間後にはバスが出発するため、迅速ある動きが求められる。習志野の統率力ある演奏の背景には、こうした団体行動における一体感があるのだ。
「テンションは上がっていますが、体力的な疲れはあると思う。でも、彼らは気持ちでカバーできる。それだけの練習を積んできていますから」
吹奏楽部・海老澤博顧問は力を込めた。人数が減ったからといって、美爆音のパワーが劣ったとは思われたくない。140人のプライドが乗った応援は、準決勝でもエネルギー全開。初回に3点を先制される苦しい展開だったが、終盤に逆転勝ち(6対4)で初の決勝進出を決めている。
準決勝の結果に関わらず、この日は京都と滋賀に分かれて宿泊すると決まっていた。今晩は4試合目にして初めて、ゆっくり布団に入って睡眠できる。明日は平成最後の甲子園頂上決戦。習志野は千葉勢初のセンバツ制覇がかかる。休養十分でさらなるボルテージ、最高潮の「習高サウンド」が期待できそうだ。
文=岡本朋祐 写真=牛島寿人