
ノーヒットノーランを達成してガッツポーズを見せたバンチ
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は2000年4月7日だ。
あのマシンガン打線が銃口から弾丸を撃ち出すことができなかった。この日、横浜スタジアムの2万4000人のファンはウソのような光景の連続に声を奪われたかのように静まり返った。
とにかく、だれも信じられないようなノーヒットノーラン達成だった。前年、マシンガン打線が放ったヒットは1408本。1試合平均10.4本。もちろん12球団トップ。総数は2位の
巨人、
オリックスより200本以上も多い。その打線に1本のヒットも許さないノーヒットノーランなのだから、過去の記録に比べてもそん色ないどころか、ひと味もふた味も違う記録達成だった。
バンチは初回、先頭の
石井琢朗に四球を与え、盗塁を許すまずい立ち上がりだったが、
波留敏夫の右飛で三塁へ走った石井琢を
井上一樹が好返球で刺したのが大きく、この回無失点。以後、粘りの投球で4回まで4四球を出しながら得点を許さない。
5回以降はスライダーを低めに集めて、マシンガン打線にわずか1四球を与えただけで完ぺきに抑え込んだ。9回の最後の打者、
鈴木尚典に対しては148キロと、この日、最速のストレートで見逃し三振に斬って取る鮮やかな記録達成だった。
セ・リーグ33回目(30人目)、外国人投手としては65年のバッキー(
阪神)、95年のブロス(
ヤクルト)に次ぐ3人目の快挙だった。
写真=BBM