昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 板東英二のアルバイト
今回は『1966年11月28日号』。定価は60円だ。
1966年はドラフトが2回に分かれていたが、第二次ドラフトが終わった。
大洋は2位で
平松政次を指名。しかし「大洋なんて魅力がない。大洋に行くくらいなら日石でプレーしたほうがよっぽどいいですよ」。
と平松はそっけない。
巨人ファンであり、巨人でプレーしたいこと、まずは翌年の都市対抗日本一が第一目標であることをかねてから公言。
翌年のドラフトで、巨人の1位指名が既定路線と思われていたが、大洋が強行指名した。
大洋は「うちにはウルトラCがある」とも言っている。おそらくは岡山東商高の先輩である
秋山登、
土井淳のルートだろう(2人の在籍時は岡山東高)。
ほか
中日が3位で東大の
井手峻を指名したが「高く評価してもらったのはうれしいが、三菱商事に就職が決まっているので」と、こちらも拒否の姿勢だ。
パ・リーグの連盟理事会で、この年の観客動員が271万人で前年に比べ、8パーセント増えたことが発表された。ただ、セは600万人の半分にも満たぬ人気のなさ。
その中で出た意見のいくつかを紹介しよう。
「スポーツ紙が巨人一辺倒だからだ。提携か買収によってパ・リーグの宣伝機関をつくるべきだ」
「スタンドにビヤホールやス
ナックバーを作ったら」
後者はいまの先駆けのようでもあるが、当時は家族連れや健全なファンを球場から遠ざけるのでは、と反対意見が多かった。
なおオフに向け、「何かいいアルバイトはないか」と検討中なのが、中日・
板東英二。昨年オフにもある会社でアルバイトをしていたらしいが、いまは「ひとつマッサージの会社でも始めてみるか」と話していた。
失敗を心配する声もあったが、大方は、
「板東は転んでもたたでは起きない男だよ。なんとかなるんじゃないの」
だった。
では、またあした。
<次回に続く>