
二岡はプロ入り後、初めてお立ち台に立った
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は1999年4月24日だ。
東京ドームで行われた
巨人対横浜は3対3の同点のまま9回裏二死となっていた。巨人の攻撃。一塁に
元木大介がいたが、
清原和博、
高橋由伸を凡退させたマウンドの
阿波野秀幸の調子からすれば延長の気配が濃厚だった。
打席の
二岡智宏も1ボール2ストライクと追い込まれたあと、外角高めに見せ球のストレートを投げられた。打者は次の読みが難しいところ。阿波野の5球目はスライダー。この球は予定どおり二岡を少し泳がせた。
だが、打球はスコーンという感じで飛び出し、そのままレフトスタンドへ舞い降りて、ルーキーのサヨナラアーチという劇的な一打となった。セ・リーグ新人のサヨナラ本塁打は、同じ巨人の
仁志敏久が96年8月16日の
ヤクルト戦(東京ドーム)で打って以来3年ぶりで、延べ17本目だった。
「詰まっていましたからね。どこに飛んで行ったのか分かりませんでした。自分で驚いています。ベースを回っているときも何も考えられなかった。もちろんホームでド突かれたのも覚えていません」と二岡はルーキーらしい初々しいコメントを残した。
写真=BBM