
ノーヒットノーランを達成し、大きくガッツポーズする渡辺久信
「あれは、“事故”みたいなものだったから」と
西武・渡辺久信GMは笑った。
平成ライオンズを振り返るインタビュー取材で、現役時代に自身が遂げたノーヒットノーランに話が及んだときだ。今から23年前、1996年6月11日
オリックス戦(西武球場)。先発した渡辺GMはオリックス29人目の打者、
大島公一から空振り三振を奪い史上63人、74回目の大記録を達成した。
「でもね、あの試合は味方が大量点を取ってくれたから助かったんだ」
3回裏、西武打線は
伊東勤の満塁本塁打など打者12人の猛攻で
星野伸之を打ち砕き、一挙8点を先制した。一方、渡辺GMのピッチングは危なっかしかった。初回、2回に一死から四球を出す。しかし、いずれも併殺で切り抜けていた。
「7回も一死から四球を出して併殺。そして8回は先頭打者から連続四球を出して。競っていたら送りバントでランナーを進められて犠牲フライを打たれ、ノーヒットで点を取られていたかもしれない。でも、点差が離れていて相手は打つしかない状況だったから」
その8回も無死一、二塁から
小川博文を右飛、D.Jを中飛、
高田誠を空振り三振に仕留めて点を与えず、ノーヒットノーランへとつながっていった。
90年5月9日の
日本ハム戦では0対0で延長に入り、11回一死から安打を許し、ノーヒットノーランを逃したことがあった。当時はうなりを上げるストレートで打者を圧倒していたが、年齢を重ね、モデルチェンジを余儀なくされていた中での快挙。三振はわずかに3で、打たせるピッチングに終始した。
ただ、“事故”と言うが、200安打から3年目、全盛期の真っただ中にいた
イチロー擁するオリックス打線を抑え込んだのは誇りだ。
「いつも必ず2本くらい打たれていたんだけど。たぶん、1本もヒットを打たれなかったのはあの試合だけ」
令和の時代、第1号のノーヒットノーランは果たして、どのような内容になるか――。
文=小林光男 写真=BBM