
完全試合を達成した槙原。外野飛球はわずかに3つとまったく危なげなかった
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は1994年5月18日だ。
この日、行われた
広島戦(福岡ドーム)。
巨人の先発・
槙原寛己は最後の打者、
御船英之を一塁ファウルフライに打ち取った。20時14分。その瞬間、史上15人目、78年8月31日、
ロッテ戦での阪急・
今井雄太郎以来、16年ぶりの完全試合が達成された。
「夢みたいです。完全試合はピッチャーをやっている人なら、みんなあこがれるものですし……」
102球を投げ切った槙原が頬を紅潮させながら、お立ち台でインタビューに答える。
2回までに味方が5点取り援護。3回を終えたとき、すでに「完全試合」の意識はあったという。5回には
金本知憲の投ゴロで、一塁への送球がショートバウンドしてしまったが、ヒヤリとしたのはそれくらい。8回終了時、捕手の
村田真一から「男ならやってみんか!」と声を掛けられたが、もとより、そのつもりだった。
「最後のほうはベンチでもどうやってガッツポーズしようか、ずっと考えていましたから(笑)。三振ならグラブを投げ上げようとかね」
最後の打球は予想していなかったファウルフライ。一瞬、どうしようかと思ったが、自然にバンザイをしてジャンプしていた。すぐに飛びついてきたのが三塁の
長嶋一茂。村田、落合も次々駆け寄り、優勝したかのような騒ぎになった。
50年に
藤本英雄(巨人)が初めて達成してから完全試合は5年とあかずに繰り返されてきた。しかし、打者有利、継投全盛の時代のなかで“難度”が上がり、人工芝球場では初の快挙。平成でも唯一の達成者となった。
写真=BBM