日本のプロ野球に外国人登録枠が採用されたのは1952年から。だが、それ以前の黎明期から日系二世などの外国人はプレーしていた。時代とともに外国人枠、外国人選手の出身国、日本球界を取り巻く環境も変わってきた。それぞれの時代の中で外国人選手はどのような役割を果たしてきたのか。助っ人のトレンドを年代別に考察してみよう。 変化してきた外国人選手に対する意識
来日3年目だった2013年の
バレンティン(
ヤクルト)は順調に本塁打数を積み重ね、過去にバース、ローズ、
カブレラが超えられなかった「55号の壁」を突破した。シーズン新記録となった56号本塁打を放ったのは9月15日、
阪神戦(神宮)。その壁を破った理由の一つには「同じリーグに王監督がいなかった」のもあるだろうが、記録達成直後のバレンティンはインタビューにこう語った。
「(04年に)イチローがメジャーでジョージ・シスラーの年間安打記録を抜いたとき、外国人だからと勝負を避けられることはなかった。その姿を日本の人たちも見ていたから、自分も勝負してもらえたのだろう」
この発言からは、若い世代の意識下で「国際化」が進行していることがうかがえる。外国人選手に対する意識も、時代とともに変化したと言えるのかもしれない。バレンティンはこの年、本塁打数を60にまで伸ばした。
10年代はほかにマートン(阪神)、ブランコ(
中日ほか)、ロペス(
DeNAほか)、
李大浩(
ソフトバンクほか)、
メヒア(西武)、
レアード(
ロッテほか)、
デスパイネ(ソフトバンクほか)などの強打者たちが時代を彩ったが、外国人の好投手たちを多く輩出したのも特徴的な傾向といえよう。
例えば16年に外国人2人目の沢村賞に選ばれたジョンソン(
広島)、17年に54セーブの新記録とともにMVPを受賞した
サファテ(ソフトバンク)、昨年時点で7回目の2ケタ勝利を記録した
メッセンジャー(阪神)は今も現役だが、彼らは着実に日本球界に爪痕を残している。15年にリーグ優勝したヤクルトは、ロマン、オンドルセク、バーネットの救援トリオなくしてペナントをつかめなかっただろう。
理由を分析すると、MLBにおけるトップレベルの選手の年俸があまりにも高騰し、本当の意味でのスーパースターを呼べる財力が日本側になくなったこと。その代わりに主流となったのは、大物に依存するよりはミドルクラスの選手を複数獲得し、登録と抹消を繰り返しながら「使える」「当たりの」選手を見極めていく、保険のような起用法だ。
日本球界でトップレベルになった日本人投手が海の向こうを目指すのが当たり前になり、その代わりに外国人投手が日本で登板するチャンスが増えた事情もあるだろう。この流れは、今の時代を象徴しているのかもしれない。
外国人選手にも育成制度

カープアカデミーから育成契約を経て、昨季は25本塁打と着実に成長したバティスタ
その一方で、06年に導入された育成選手制度が「外国人選手の育成」に利用されるケースが増えた。その分野で先駆者といえるのはドミニカ共和国でカープアカデミーを所有する広島で、昨年47試合に登板した中継ぎ左腕・
フランスア、同じく25本塁打した大砲・バティスタはいずれも育成出身。今年はソフトバンク、
巨人、DeNA、中日も中南米出身の育成選手を抱えており、カープに続くか注目される。
17年には、
ラミレス監督(DeNA)がクライマックスシリーズを勝ち抜いて日本シリーズへ出場した。バレンタインやヒルマンのような米国における監督経験者ではなく、日本で外国人選手として名を成して監督就任し、成功したのは特筆に値する。米指導者としてのキャリアを日本球界でスタートさせた外国人監督の成功例は、今後も続くのだろうか。
写真=BBM