昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 長嶋茂雄の首位打者は無理?
今回は『1967年8月28日号』。定価は60円。
8月10日、交渉期限ぎりぎりで日石・
平松政次の大洋入りが発表された。
8日に終了した都市対抗では、見事優勝投手となったが、実は天候等もあって都市対抗の日程が3日延び、大会後の交渉の約束となっていたため、大洋側はかなりやきもきしていたようだ。
決勝の後、平松は「条件が折り合えば」とプロ入りの意思を明らかにした。
翌9日の交渉で決まると思われたが、話し合いは深夜まで3時間半と長引き、結論も出なかった。
実は前年秋、大洋は平松に1700万円の契約金を提示し、断られていたのだが、都市対抗前日に受けた提示は、なぜか200万円ダウンの1500万円。
平松側はこのとき大洋にかなり不信感があったが、高校の先輩・
秋山登、
土井淳から直接交渉にあたっていたというから「都市対抗で結果を出せば、また違う」くらい言われていたはずだ。
そもそも、この時期に入るか、次のドラフトで入るかはそう大きな違いではない。大洋側に強気になれる要素は多くなかった。
平松は都市対抗優勝、橋戸賞。甘いマスクで人気もあって、平松ブームとなっていた。しかし、9日の交渉では提示は変わらず。平松側は一気に硬化した。
中部謙吉オーナーは「平松獲得に金を惜しむな」と号令をかけていたのだが、
三原脩監督が平松獲得に熱心ではなかったからではないか、とも言われる。
真相は分からないが、結局、10日、ぎりぎりでのサインとなった。
この後、8月25日から神宮でアジア大会が行われ、この秋のドラフトの注目選手が多数出場する。その中で明大の
高田繁が契約金5000万円級とあり、ほかにも2000万、3000万と景気のいい数字が躍っていたが、そもそも契約金には上限があったように記憶するが、気のせいか。
セの首位打者争いでは
中日・
中暁生が大洋・
近藤和彦を抜いて1位になった。
シーズン前、首位打者の本命と言われた巨人・
長嶋茂雄は2割8分台と振るわない。表紙で「首位打者不能説への反論」とあったので、その部分を拾ってみるが、やや羊頭狗肉。
「オレはいまそんな反論もくそもないよ。ただもう後半戦に3割に持っていくか。自分との戦いですよ」
と言っていた。
では、またあした。
<次回に続く>