
優勝トロフィーを高々と掲げた原監督
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は2014年6月22日だ。
インタビューに応じるため、お立ち台へと上がった
巨人・
原辰徳監督は、開口一番「ギリギリでした」。ホッと胸をなでおろしたのにはワケがある。
6月20日時点で交流戦優勝の可能性を残していたのは、首位・巨人、2位・
ソフトバンク、3位・
オリックスの3チーム。21日から首位攻防2連戦(東京ドーム)で、巨人はどちらかを勝利すればよかったのだが、必勝を期して送り出した大黒柱・
菅野智之で第1戦に惜敗(1対3)、逆に後がなくなってしまう。この日の敗戦でソフトバンクと順位が逆転、翌22日の第2戦は、勝った方が交流戦V(引き分けならソフトバンクがV)という、文字どおりの天王山、しびれる展開となっていた。
結果的に巨人は2回までに7得点と大一番で打線が爆発。投げても交流戦期間中に2勝を挙げていた先発・
小山雄輝が、12球団でNo.1の得点力を誇る鷹打線に再三好機を許すものの、6回を3失点、最後は10対5の完勝で、2012年以来2度目の交流戦優勝を果たした。
16勝8敗、勝率.667と、8つの勝ち越しに成功したものの、期間中、巨人は圧倒的な強さを見せたわけではない。3連敗(1度)以上の大型連敗こそないが、16勝のうち2点差以内の接戦が10、2点差以内の敗戦も3つある。交流戦開幕直後はレギュラーシーズンからの連続1ケタ安打を球団ワーストの19(交流戦期間中は14試合)に伸ばすなど、打線が振るわなかった。
指揮官は「しぶとく接戦を勝利できたこと」を勝因に挙げたが、リリーフ陣の奮闘を抜きには語れない。セットアッパーの
山口鉄也は12試合に登板して失点はわずかに1。
高木京介、
西村健太朗の戦線離脱により、
久保裕也、
香月良太、
青木高広らベテランのブルペン組の負担が増したが、イニングをまたいでのロングリリーフも辞さず、流れが傾くまで粘り強く投げ抜いたことが、2度目の戴冠へとつながった。
写真=BBM