昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 サンケイ・別所監督、張り切る
今回は『1967年11月27日号』。定価は60円。
ついに
三原脩の近鉄監督就任が決定。11月3日に正式交渉を始め、わずか3日で決まった。
実は、この話、近鉄側が熱心だったのではなく、大洋を退団した三原側が知り合いの新聞記者を通して売り込みをしたらしい。
小玉明利前監督が三原招へいのウワサに反発したこともあり、佐伯勇オーナーも当初は迷っていたようだが、
広島が三原を監督に誘っているという話を聞き、急きょ本格化に動き始めたという(あるいは、小玉への手前もあって、熱心でなかったかのようにふるまったのかも)。
6日、200人近くが集まった就任会見では「これがプロ野球最後の監督でしょう。優勝してみせます」と三原はきっぱり。さらに、
「オーナーが隣にいるので言いにくいのですが、長い間勝てなかったので野球では儲けられなかったと思う。手離そうと考えられたことがあるかもしれない。だから野球チームをもってよかったと思う日が近い将来来るようにしたい」
佐伯オーナーは「カネは出すが口は出さない。こんな大監督が来て勝てなかったら、今度こそわしも考え直す」と語った。三原は人事権なども契約に盛り込んでもらおうとしたらしいが、芥田球団社長に拒否された。
発表後、球団は小玉の退団希望を受ける方向であることを明言し、西鉄、
阪神、南海が獲得に名乗りを上げた。
サンケイの秋季練習では新監督・
別所毅彦の怒号が鳴り響いていた。
「だらだら歩くんじゃない。二歩以上歩くときは駆け足と約束したじゃないか」
これはキャンプでナインに申し渡した服務規程の一つ。あちこちで雷を落としながら練習を指揮した。
「今までのアトムズの雰囲気を壊すつもりでいく。もちろん、長所は残す。しかし、悪いところは遠慮なく直すようにしたい。
革命のためには洗脳が必要だ。この秋季練習のランニング一つ見ても、体がなまっているのがよくわかる」
張り切るのはいい。だが、張り切り過ぎにも感じられる……。
阪神はお家騒動で揺れていた。
朝井茂治三塁手が秋季キャンプを無断欠勤。佐川渉外課長(スカウト)から呼び出され、叱責を受けた。
これに対し朝井は「スカウトに、そんなことを言われる筋合いはない」と怒り、記者に向かって、
「自由契約でも任意引退にでもすればいいんだ。俺は阪神に嫌気がさしている。どこも取ってくれないなら、スナックを十三でやっているから野球界から足を洗うよ」
66年ようやくサードのスタメンを取ったと思ったのに、クレスを獲得した球団への憤りや、シーズン中、コーチにヒジ痛を訴えながら、それが藤本定義監督に通じていなかったという不信感もあった。朝井は「うちのコーチはお手伝いさんのようなもんだ」と批判した。
コーチ批判については選手たちからも同様の声があった。いわく「うちのコーチとくれば上ばかり見て、ゴマばかりすっているんだ」。
この件とは関係ないが、
村山実は前年こんなことを言っていた。
「うちのチームは正直者がバカをみるんだ。これではいつまでたってもチームは強くならない」
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM