夢の甲子園切符をつかむため、一投一打に魂を込める。集大成の夏――。神奈川を熱くする注目選手から目が離せない。 
弥栄・河野翔英
河野翔英(こうの・しょうえい)
投手/172センチ76キロ/右投左打/3年
今春の県大会準々決勝、河野翔英にとって2年前の雪辱を果たすチャンスが訪れた。弥栄入学後、公式戦で初めて黒星を喫したのが、横浜との1年秋の県大会準々決勝。結果は0対13で5回
コールド。下級生ながらエースナンバーを背負った河野は先発も、途中降板を余儀なくされた。当時を、「何もできず、ボロボロでした」と語る。
横浜との再戦。河野はこれまでの“答え合わせ”だと考えていた。
「あの横浜戦が僕の再スタート。そこから球のキレや精度、球種の使い方など、細かいところにも意識しながらやってきた。これまでやってきたことが正解だったのかどうか、この試合が一つの答えになると思って臨みました」
結果は、8安打を許しながらも要所を締めて、横浜の強力打線を2点(0対2)に抑えた。鶴岡英一監督の採点は「99点」。河野自身も「(横浜が)雲の上の存在ではなく、勝てるかもしれないと思える相手になった」と2年前とは違う自身の投球の内容に納得した表情を浮かべた。3年間、河野の担任でもあるといいう鶴岡監督。ずっと目にかけてきたエースが最も成長した点は「心」だという。
「今までは自分中心で何かあると、すぐにカッとなるところがあった。でも今はそういうところはなくなりました」
実際、河野自身、意識している部分だ。
「イライラすると、普通に抑えられるところも打たれてしまったり。そして何より投手は、バックから一番見られるポジションなので、自分がそういう態度をとってしまうと、チームにも影響が出てくるかなと。そういうところに気づいてからは、みんなの士気を下げないように心掛けています」
きっかけは昨夏の敗戦。桐光学園との北神奈川大会準々決勝に敗れた後、敗戦投手となった河野に、多くの人たちが労いの言葉をかけてくれた。河野はそこでの気づきが大きかったと感じている。
「それまでは自分一人のために野球をやっていました。でも、桐光戦後にいろんな人が声をかけてきてくれて、『自分は支えられて野球ができているんだな』と思ったんです。それからは、感謝の気持ちをもってやっています」
公立勢の甲子園出場は、1990年夏の横浜商が最後。人として成長したエースが歴史を塗り替える。
写真=BBM