昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 杉下茂監督の後任は水原?
今回は『1968年7月22日号』。定価は60円。
中日・
杉下茂監督の休養により、中日の次期監督が誰になるかが話題になっていた。
最有力候補は
水原茂(前巨人、東映監督で当時解説者)だ。当時解説者でトヨタの石田会長が巨人ファンで水原とも親しく、過去、球団に「水原さんを監督にしたら」と勧めたことあったという。
ただ、中日は中日出身者か名古屋出身者を監督にすることが多く、外様への拒否感が強かった。
果たして。
パでは前年王者・阪急が浮上。立役者の一人は
矢野清だった。6月途中から四番定着。プロ10年目で二軍ではクリーンアップながら、一軍にはなかなか定着できず、67年は3試合のみの出場だった。何度も整理要員となり、また矢野自身も契約更改でトレード志願したこともあったという。
口の悪い
青田昇前コーチからは「おい、若手の中の古手」とからかわれたこともあったという。
西本幸雄監督は抜擢に理由について、
「十年の努力が実ったということやな。四番・長池(
長池徳二)に得点力がないから誰を四番にしようと考えたら矢野しかいなかった。よう10年も辛抱しよったわい。偉いやっちゃ」
という。
岡野球団社長は言う。
「二軍暮らしの選手を十年もおいていたというのは、チームが偉いんか、本人が偉いんか。とにかく大変なことですねえ」
当時は10年も芽が出なければクビが当たり前だった。
そういえば、数号前で南海・
森下整鎮コーチが殴打事件でスカウトになった記事を書いたが、殴られた選手が解雇された。理由は飲酒。部屋には一升瓶があり、合宿で他の選手にひんしゅくを買うほどだったという。
今なら南海側の情報操作と言われそうだが、たぶん、嘘ではあるまい。
好調
広島の
根本陸夫監督に、熱烈広島ファンで、当連載でもおなじみの佐々木久子さんがラブ
コール(?)。
今回は最後に、その一部を紹介しておこう。
筋が通らないことに対しては一歩も引かない。情もあるが、剛胆でもある。根本監督の真価は、まだまだ、これから発揮するはずである。
昨今の男たちは、隠花植物のように、じめじめいじいじしていて、まったく嫌になってしまう。私は本当に久方ぶりにスカッとした男にめぐりあってゴキゲンである。それが寝てもさめても気になっているわが愛する広島東洋カープの監督であるとは、なんという身の幸せ。
進め、広島東洋カープ! 頑張れ、根本さん!
では、また月曜日に。
<次回に続く>
写真=BBM