昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 カージナルスが弱いのか、日本が強いのか
今回は『1968年11月11日号』。定価は60円。
最初は担当の独り言。
「なぜなんだ」……少し悩んだ。
表紙の高田繁のYGマークが取れそうだ。しかもこれ、数カ月前の高田の表紙もそうだった。
このヘルメットが好きなのか、はたまた以前撮影した写真の中からあらためて選んだのか……(結論はなし。当時のスタッフいません)
日本シリーズの後、カージナルスが来日し日米野球がスタートしたが、どうも評判が芳しくない。
要は「観光気分でやってるんじゃないか」というものだ。
ここまで3試合。初戦(対巨人)は9対8で勝利も、2戦目(対巨人)は2対3でサヨナラ勝ち、さらに3戦目は全日本相手に、
阪神・
江夏豊が3回で7奪三振の好投、巨人・
王貞治の満塁弾などもあって0対6と大敗した。
「それだけ日本のレベルが上がったんだ」という声も多かったが、大リーグ通評論家は、
「長旅と練習不足から不調が重なって、実力の半分も出ていない。それを割引しないで評価するのは大リーグに失礼だ」
まさに、おもてなしの心か。
この後の流れは、まだ読んでないので分からないが、当時の江夏、王なら当然の思いもある。
留任濃厚と言われていた阪神・藤本定義監督が10月21日、秋季練習中の甲子園で辞意を表明した。理由は「健康上の問題と後進に道を譲りたいから」だった。
阪神は、すぐ動く。
南海のユニフォームを脱いだばかりの
鶴岡一人に監督要請をすると発表。すぐ自宅に電話したらしいが、留守だった。
実は、鶴岡は湯河原で療養していたというが、現地に駆け付けた記者にコメントを求められ、
「疲れたと言ってユニフォームを脱いだものが、なんで今さらほかのチームのユニフォームを着れるんや。絶対に受けるもんかい」
とそっけなく言い切った。
阪神がまったく打診もせずに発表したとは思えず、鶴岡も、もしかしたらセで一度やってみたいと思っていたかもしれないが、タイミングが悪かった。
阪神が鶴岡への監督就任を明らかにした23日は、南海が鶴岡の後任で
飯田徳治監督就任を発表した日でもあった。
ここで受けたら、事前に阪神と約束があって、南海監督をやめたと受け取られかねない。阪神のフライング発表は大迷惑だっただろう。
鶴岡は、こう思ったのではないか。
「阪神いうんは、間の悪い球団やな」
今もあまり変わっていない。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM