福留に7球団が競合も……

ドラフト当日、PL学園高野球部寮の前に立つ福留
平成7年、1995年のドラフトは、逆指名制度の導入から2年、この間の鬱積が一気に噴出したような展開となる。93年のドラフトで問題となったのが逆指名の選手たちの契約金の高騰。94年のドラフトではダイエーが進学を表明していた別府大付高の
城島健司を強行指名したことが問題となった。
そこで、この95年のドラフトからは、プロを拒否した選手は確認を待たずに指名できないことになり、契約金も“後払いシステム”に。1億円を上限として、成績に応じて契約金の50パーセントを報奨金とすることができるようになった。
さらには、10年に1人と言われる高校生が登場。PL学園高の
福留孝介だ。高校生は制度上の逆指名ができないのは変わらなかったが、「意中の球団でなければ社会人」を公言していた。一方で、アトランタ五輪の戦力として期待されている大学生、社会人からも、プロに転じる決意を表明する選手が現れる。日本生命の
仁志敏久は
巨人を、慶大の
高木大成は
西武を、それぞれ逆指名。ドラフト予想も、福留を中心に展開されていく。
週刊ベースボールでは、近鉄、
中日、
日本ハム、巨人、
ロッテ、
ヤクルトの6球団が福留に競合、
広島と
オリックスは市銚子高の
長谷川昌幸、ダイエーは南京都高の
斉藤和巳を1位で指名すると予想していた。
【1995年・12球団ドラフト1位指名】
近鉄 福留孝介×
阪神 舩木聖士 ダイエー 斉藤和巳
中日 福留孝介→
原俊介→
荒木雅博 日本ハム 福留孝介→
中村豊 横浜
細見和史 西武 高木大成
巨人 福留孝介→原俊介
ロッテ 福留孝介→
沢井良輔 広島 長谷川昌幸
オリックス 福留孝介→
今村文昭 ヤクルト 福留孝介→沢井良輔→
三木肇 (→は外れ1位、×は入団拒否)
中日の泣き笑い

福留を抽選で引き当て笑顔を浮かべる近鉄・佐々木監督
長谷川の指名を予想していたオリックスが福留を指名したことで、長谷川は広島の単独1位となった一方、福留には7球団が競合する結果に。その抽選の顔ぶれも豪華だった。
福留の希望している球団と言われていた巨人の
長嶋茂雄監督、中日の
星野仙一監督だけでなく、ヤクルトは
野村克也監督、オリックスは
仰木彬監督などが並ぶ中、交渉権を獲得したのは唯一、優勝経験がない近鉄の
佐々木恭介監督。思わず「ヨッシャー!」と歓喜の雄叫びを上げたが、福留は「自分の意思は貫きたい」と入団を拒否、日本生命へ進んでアトランタ五輪にも出場し、2年後の98年に逆指名で中日に入団することになる。
一方、福留を外した6球団の指名が改めて行われたが、そこでも2選手に指名が競合。中日と巨人が東海大相模高の原俊介、ロッテとヤクルトが銚子商高の沢井良輔を指名して、ふたたび抽選が行われる。
2連敗を喫したのが中日とヤクルト。特に福留との“相思相愛”も引き裂かれた中日は踏んだり蹴ったりといった風情だったが、そこから“外れ外れ1位”で指名したのが熊本工高の荒木雅博だった。のちに福留とチームメートとなる荒木は、福留よりもブレークは遅かったが、
落合博満監督となってからは二塁手として黄金時代のキーマンとなる。このドラフトでは「泣きっ面に蜂」の中日だったが、長い目で見れば「一挙両得」だったわけだ。
写真=BBM