“松坂世代”の高校生が並んでも……

3球団が競合した松坂は抽選の末、西武が交渉権を引き当てた
平成10年、1998年のドラフトで、最も注目を集めたのは横浜高の
松坂大輔だ。エースとして甲子園の春夏連覇を成し遂げ、夏の決勝戦ではノーヒットノーランを達成する離れ業をやってのけた右腕。のちに“平成の怪物”が代名詞として定着するが、当時の週刊ベースボールでは“世紀末のモンスター”というキャッチフレーズで、前中後編に分けた短期集中連載で松坂を分析している。ほかにも、高校生では沖縄水産高の
新垣渚、高知商高の
藤川球児ら、いわゆる“松坂世代”の高校生たちがズラリと並んだ。
一方、大学生、社会人の筆頭は大体大の
上原浩治だ。メジャー志向が強かった上原だが、最終的には
巨人を逆指名。逆指名が制度化されてから予想が盛り上がらなくなっていることには、これまでも幾度か触れてきたが、これだけの面々が高校生にいたドラフトでさえも同様で、週刊ベースボールでも特に予想はせず、逆指名制度の問題点を検証しつつ、逆指名でプロ入りした歴代の選手と、逆指名しないでプロ入りした大学、社会人出身の選手で、それぞれベストナインを組んでみるなど、誌面の構成に苦しんでいるようにも見える。
なお、平成7年のドラフトでは逆指名の権利がない高校生で、1位で指名した近鉄の入団を拒否して日本生命へ進んでいた
福留孝介は、
中日を逆指名。3年前の夢をかなえることもドラフト前から確定的となっていた。
【1998年・12球団ドラフト1位指名】
ロッテ 小林雅英 阪神 藤川球児
近鉄
宇高伸次 広島 東出輝裕 ダイエー 新垣渚→
吉本亮 ヤクルト 石堂克利 オリックス 新垣渚×
巨人 上原浩治
日本ハム 松坂大輔→
實松一成 中日 福留孝介
西武 松坂大輔
横浜 松坂大輔→
古木克明 (→は外れ1位、×は入団拒否)
大学生と社会人の明、高校生の暗
3球団が競合した松坂は、西武の
東尾修監督が交渉権を獲得してガッツポーズ。
「外れたな、と思いました。意中の球団は横浜ベイスターズでした。みんなから、うまくいくといいね、と言われましたが、そんなに甘くはなかった……」(松坂)
ドラフト前から、意中の球団でなければ社会人、と明言していた松坂だったが、最終的には西武への入団を決断。巨人へ入団した上原とともに、1年目から圧倒的な活躍で新人王に輝くことになる。
一方で、ダイエー入団を希望していた新垣は、オリックスの強行指名で目に涙を浮かべながら「九州共立大に進学させていただきます」と明確に入団を拒否。未来を懸けた若者の決断に一切の罪はないが、
イチローを発掘した実績もある敏腕スカウトの
三輪田勝利オリックス編成部長が交渉に当たったが、ドラフトから1週間後、那覇市内で自らの人生に幕を下ろしてしまう。
これまでも、若者たちは夢を抱き、それゆえに、運命に翻弄されてきたドラフト。若者に夢を持つなと言う大人は、どうかしている。夢ある若者と真剣に向き合うからこそ、大人は命を懸けていた。だからこその悲劇だったのだろう。大学生と社会人は夢を保障され、高校生は夢に翻弄されることが制度化されていた時代の、二度と繰り返してはならない悲劇だ。
写真=BBM