
1992年、2度目の日本シリーズ3連覇を果たした西武ナイン
1986年から西武の指揮官となった森祗晶監督。94年まで在任9年間でリーグ優勝8度、日本一6度と黄金時代を築き上げた。球界の盟主の名をほしいままにした獅子の時代。短期決戦でも力を発揮した、その理由を当時のコーチ・
伊原春樹氏が明かしてくれた。
伊原 森監督率いる西武が、日本シリーズでなぜ強さを発揮することができたか。身もふたもない言い方をしてしまえば、それだけ優秀な選手がそろっていたということである。首脳陣の意図をしっかりと把握して、実行する能力。日本シリーズだからといって特別なことはやらず、自分たちが持っている能力を発揮すればおのずと勝利が転がり込んでくる。森監督も絶対に「何が何でも勝ちたい」といったことはミーティングで言わない。チーム全体が自然体で日本シリーズに臨んでいた。
投打のバランスが優れていた西武だが、その中でもやはり投手陣の充実がチームに栄冠をもたらした大きな理由となろう。最大7戦の短期決戦、しかも両リーグのチャンピオン同士の戦いだから実力に大きな開きはない。大量得点で決着がつくことも少ないはずだ。いかに1点を奪い、1点を与えないか。相手の勢いをそぐにはディフェンス力が最大の武器となるし、やはり、守り勝つ野球がカギとなる。
日本シリーズでは先発投手もシーズンのように5、6人もいらない。3、4人いれば十分に乗り切ることができる。西武は常に高いレベルの先発投手が5、6人そろっていたから、日本シリーズで先発枠に入らなかった投手が中継ぎに回る。その分、投手力はさらに強固となるのは自明の理。レベルアップした投手陣を軸に、計算できる戦いを日本シリーズで展開することができた。
1987年、
巨人との日本シリーズでも投手力を前面に押し出して戦った。
王貞治監督率いる巨人は攻撃に絶対的な自信を持っていた。首位打者の
篠塚利夫(打率.333)をはじめ、
吉村禎章(.322)、
中畑清(.321)、
原辰徳(.307)、
クロマティ(.300)と3割打者がズラリ。チーム打率も.281と.249の西武を大きく上回る攻撃力を誇っていた。
しかし、データを探ってみると、巨人はセ・リーグのエース級には抑えられているのである。数字のマジックというか、シーズンではレベルの低い投手を相手にすることも多く、そこで打棒を振るえば必然的に打率は上がる。西武も防御率1位の
工藤公康(2.41)、
東尾修(2.59)と投手陣は例年と同じく充実していたので十分、巨人打線を抑え込めると確信していた。結果、工藤が2勝1Sを挙げる活躍をするなど、4勝2敗で巨人を下した。
このシリーズではチーム盗塁数も巨人の55個に対し、西武は123個と走力の差が歴然。自分たちの武器を生かすために、あらゆる角度から巨人を分析していたが、三塁コーチだった私はセンターを守るクロマティの動きが緩慢だったことに気が付いた。特に、捕球してからの動作が遅く、ゆっくりと山なりの返球をするクセがあった。そこを突き、第6戦の8回一死一塁から
秋山幸二の中前打で一気に一走が本塁を陥れて追加点を奪い、日本一を手繰り寄せる好走塁を完成させた。
泰然自若と大一番に臨んだ森監督に、各自の持ち場で能力を発揮したコーチ陣、さらに能力が高い選手たち。三位一体となって、西武は日本シリーズで栄冠を何度もつかめたのである。
文=小林光男 写真=BBM