昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 バットをのこぎりで切った飯島
今回は『1969年7月14日号』。定価は60円。
6月23日、
広島戦(広島)。
阪神の新人捕手・
田淵幸一がファーストに入った。
この試合、広島の先発を大羽と予想し、左打ちの一塁手・
遠井吾郎を外す打線を考えたという(田淵は右打ち)。打撃不振が続いていた田淵は20試合ぶりの打点をマークし、守備もまずまず。後藤監督も「なかなかやるな」と笑顔だった。
このまま一塁コンバートかとも言われたが、反対の声も多い。
巨人・
金田正一もその一人だ。
「あいつは捕手じゃなきゃあかん。あんなでっかい捕手がほかにいるかい。身長ならわしも自信があるが、あいつはわしよりでかい。バッターボックスに打者が入ったとき、田淵は必ず立ち上がって上から見下ろすように眺める。あのポーズ、バッターにしてみたらええ気持ちはしない。肩もええし、キャッチングも新人にしてはうますぎるで。それを何の因果で一塁にまわさないかんのや。一塁でなんぼうまなっても、ワンちゃんには勝てんで」
東映の
青野修三が蒸発事件を起こしたらしい。
松木監督と合わず、二軍で干されていたのだが、ファームが連敗した際、飯島二軍監督が突然、「選手が打てないのはバットが悪い」と言い出し、バットの先端をのこぎりで切り始めた。4、5人が「犠牲」になったらしいが、青野もその一人だった。
これに怒った青野は、球団に「左足骨折後遺症およびアキレス腱周囲炎」の診断書を提出し、練習にこなくなった。
このときは給料を“蒸発中”の10日間分カットで一応戻ったのだが、今後はコーチから
「テストケースとして試してみるから一軍の練習に来い」
と言われ、「きのうやきょう入った新人じゃあるまいし、テストケースはひどすぎる」と拒絶した。
青野は知り合いに頼み、移籍先を探しているようだが、
「野球がダメならバーテンでも食っていけるさ」
と腹をくくっていた。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM